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ひとつ屋根の下に暮しながら……といっても、辰巳は母屋、種吉は離れで寝起きしているのであったが、その離れに辰巳が訪れて来ることがまず稀で、しかも連れの女が二人の中学時代の同級生ツヤ子であるというのだから猶の事驚いた。
ツヤ子という女は種吉の印象にいたく強く残っていて、おおよそ十年ぶりの邂逅であったが、その目と目の間が不快でないほどに離れている所などに面影があった。
ツヤ子と種吉は同じ級で共に生物係で、ある日ツヤ子がビニル袋に入れた金魚を持ってきて、袋の水ごと水槽に放してやりながらコレ、あたしの子供たちなのよ、とか何とか言ったのだった。種吉がもごもごしているとツヤ子赤面して、もちろん、冗談よ。
目と目の間が少しく離れた、そこはかとなし魚を思わせる女だから、種吉は予てからツヤ子を見ると母を思い出し、というのも幼い頃死んだ母と顔が似ているというのでなく、母が種吉の目と目の間を吸って愛情表現してくれた由。何でも母が好きな小説に、そういう男女が出てくるので真似をしたのだとか言っていた朧な記憶。その小説の、今思えば女の方が口にした台詞だろう「金魚して」を言うと、母は愛しげに、種吉の鼻のつけ根をばチュウと吸ってくれたことだった。
で、中学時分には疾うに母親は亡くなっていたが、種吉はツヤ子を見るにつけ、この女は「金魚」される為に生まれて来たような目の持主である、などと思っていたのであった。
そのツヤ子に金魚をば指して「あたしの子供たち」なぞと言われてみると、種吉はもちろんそんなはずはないとわかっていながら、脳のどこか間抜けた箇所からその言葉はすんなり浸透して、ツヤ子の口からぽこぽこ煙草の煙みたように金魚が列為して生まれてくる図など思い描かすまでに発展した。そんな内ツヤ子が恥かしげに取消してしまったので、今度は種吉が赤面する番だった。それまでもとりわけ仲がよい訳でなく、放課後ふたりで居ても話すことといえば飼っている生物についての云々で、ここで母の話を持ち出してもツヤ子にしてみれば何を唐突にと思うだけであろう、これでますますやつがれ冗談も通じぬ野暮天だと思われたのではないかしらと、ぎくしゃくしたムウドを、取り繕うこともできぬ種吉は、やはりどちらかといえば生真面目な性質であった。
「ツヤ子さんだよ。僕は中学一年の時同じ級だったのだ。種とは二年生の時だってね」
「ええ、そう……。種吉さんは覚えてらっしゃるかしら」
と微笑むツヤ子の唇はえもいわれぬ薄桃色、当年と変らぬほっそりとした肢体、なよやかな印象はそのままに、それに加えての優美な立ち居振舞は、スッカリ一人前の手弱女といった風情。その内で種吉が何より気になるのはやはり何ともいい具合に離れた両目と、もうひとつ、小指であった。昔日金魚の死骸を持て余してつついておった右の小指。仰向けに浮いた金魚の腹をつついてツヤ子は、こわくて持てないと途方に暮れていた。種吉がしっぽをつまんで土に埋めた。
白く細い小指が外側に向けて少しく曲がっていたのをまたよく覚えている。今は力を抜いた状態でタイトスカートの横に添わせてあったから、曲がり具合を確めることは難しかった。
「大学が一緒だったんだよ。三年も通っていながらお互いチイトモわからなんだ。でも学部が違うから仕方ないさね。今日ちょっとしたきっかけから話すことになって、互いに何となく見覚えがあったので、確めてみたらという次第。同じ地元ということで昔話なんぞしながら一緒に帰って来た所なんだ……折角だから君にも、ということになってね。じゃあ、邪魔したな」
と辰巳が行きかけるのを、あら待って、どうせなら種吉さんも一緒に……とツヤ子が止めるに、
「いいんだ、なァ種、お前はひとりで居るのが好きだもんな」
種吉と辰巳の反りが合わないのは、二人の生まれる前から決定づけられていたようなものだった。彼らはいとこであり、異母兄弟でもあった。また、父と、姉妹である二人の母親とはいとこ同士であるのだった。姉妹はいとこである同じ男の子供を孕み、姉であるキヨが産んだのが種吉、妹のヤエが産んだのが辰巳、兄弟とはいえ出生日は数ヶ月しか離れていないのだった。
そのような面妖な構成の一家五人……種吉の母が亡くなって爾来四人が、ひとつ屋根の下に住むなどという離れ業を、よく親族連が許したものだと、種吉はものごころついてから考えないではなかったが、恐らくは父が代々医者である本家のひとり息子で、妊娠、出産の騒動当時既に亡くなっていた種吉らの祖父が後を継いで、田舎町に一軒しかない診療所「斑目医院」の院長であったから経済的には問題なかったのだろうし、それに加えて種吉から見ても父は何だか飄々と、つかみどころのない雰囲気があって、親族にしても二人の母親にしてもぬらりくらりで煙に巻かれたのやもしれぬ。
真相を知りたいと一等思った、尚且つぎりぎり無邪気を装って尋ねられるという年頃には既に母は亡く、一緒に住んでいて血の繋がりもあるというに叔母はどこかよそよそしげで、そんなことを尋くのは憚られた。辰巳とは小さな頃から今と変らぬ関係で、ケンカをするという仲の悪さでなしに、互いの領域には足を踏み入れぬという暗黙のルール。それでも思いきってある折、自分らの出生時の経緯について何か知らないか、と尋いてみたことがあったが、辰巳は陰鬱な目をして……その時ばかりでなく、種吉を見やる時はいつでもそうであった……、知らないと言ったばかりであった。
父に尋ねれば一番手っ取り早かったろうが、父は種吉が聞くべきでない事実でも何でもあけすけに答えてくれそうな気がしてそれはそれで恐く、結局当時の状況はよくわからず終いで今に至る。
父は健在で、本来なら長男であるはずの種吉が後継ぎになるべきなのだろうが、早くから弟の辰巳が医者になると公言し、二十歳を越えた今では実際医学生であるのをいいことに、絵を描くという名目で種吉がひもすがら部屋に引きこもっておっても、あまり気にも留めぬ様子。
やかましいのは叔母のヤエで、種吉の実母が死んだ後ヤエと父とは入籍し、種吉が養子に入った形で、戸籍上では母ということになるが、種吉はどうにもヤエに馴染めないのであった。
折檻などされたことはないが、とにかく口がよく回る女で、「あんたがかわいくない訳じゃないのヨ……」と前置きしてねちねちと小言を言いくさる。大体は辰巳はこうなのにあんたは、といった内容で、辰巳はそんな時少しく離れた場所からニヤニヤと種吉の方を見ていたものだった。幼い頃はただ悲しくなるばかりであったが、今ではおおよそを聞き流す術を覚え、叔母の目には随分ふてぶてしく映るのであろう。つい先だっても、種吉が二浪して潜り込んだ美術学校にチイトモ足を運ばないのを、一家が揃う夕食の席にて例によりブツクサやり始めたが、種吉が「まァ、画家なんてのは医者と違って資格がいらないそうですから……勝手に名乗っておれば、その内らしくなりましょう」ともそもそ食いながら返せば、箸を止めて、大仰に口をアングリ。
そのやりとりを見て事有れかしな父は「そうだなァ、画家なんか五十代でもまだまだヒヨッ子なんていう世界らしいからなァ、まァ気長にやるこった」と含み笑い。辰巳は母を援護したり種吉を睨みつけたりといったような露骨なふるまいはせず、一貫して無表情であったが、幼少時よりの母親崇拝は今もって引き続いていると種吉は確信していた、内心母親をやり込めた種吉をさぞ憎々しく思ったことであろう。
と今では何とかヤエをかわすことができるようになったものの、やはり種吉はヤエが苦手であったし、そのヤエに追従する辰巳ともどうにも打ち解けられぬのであった。
いつの頃からか種吉は、ヤエの小言が心添えめかした毒突きであるとしか思えぬようになった。それは種吉と実母が離れに追いやられていたことからも察せられる。ヤエは恐らく父を独り占めしたく、どういう流れか同居する羽目になったものの、やはり種吉とキヨが目の上のこぶであったに違いない。
実母キヨは離れで近所の子供にピアノを教えていたから、幼い種吉の「どうして辰巳は父と一緒に寝起きができて、自分はできないのか」というような詰りに近い問いに、ピアノのお稽古の所為ねと答えたのであったが、そういう折いつも表情に翳りがさしたのは、子供にさみしい思いをさせているという辛さばかりではなかったのではないか。「姉さんはピアノ教師なんかしてる職業婦人だから、主婦には向かないでしょう。家のことはあたしがやるから」と有無を言わさず取り決めてしまった叔母の様子が、目に浮ぶようである。
最近は種吉がやり返すようになったから、以前のように顔を合わす度ねちねち絡んでくるようなことはなくなったけれど、隙あらばという気配はありありと感じられる。しかし種吉にも、いつか辛抱ならなくなったらと、腹に据えたる一物有りき。「自分が実際に辰巳を追い越しにかかったらかかったで、あんたはまた違った文句を言い出すのだろう」という皮肉也。……
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