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一.鈴香双子の婆と火花を散らし合うこと及び居候が経緯(いきさつ)について
「あの、今出られないんです」
1:50。昼下がり。玄関脇に忍者の如く張り付きたるすっぴんの婦人、この家の主婦、その名も鏡子。
「あの、私ちょっと、今ひどい恰好なんです。また後にしてくれませんか」
磨りガラスの向こうで、二つの、全く同じフォルムを持つ影が、蜃気楼のように絶えず揺らめいている。声はなくとも、その苛々と殺気立った心の動きは、鏡子の横目にもアリアリと見てとれる。
「スッカリ忘れてたわてらも悪いとは思うんやけど」「思うんやけど」「2:00までに会長に届けなあかんねん」「あかんねん」「だから今やないと駄目やねん」「駄目やねん」
「でもあたし、さっきまでお風呂に入っていたものだから……髪もオールバックだし、ヨレた寝間着だし、ノーメイクは言わずもがな……」
「知ったこっちゃないわ。わてらあんたに自治会費を払ってもらいmust、そして領収書を渡しmust、それだけでんがな。あんたの都合なんか聞いとらへんわ。あんたが風呂上がりだろうが月経上がりだろうがどうだって構やしませんがな。うちらにとっても……世の中にとっても」
「い、今そんなこと言う必要がありますか。私が世の中に必要とされていないだとか何とか言う必要がありますか。そうだわ、貴方たちはチャンチャラ可笑しいと思っているんでしょう、こんな大きいだけのボロ家に住んで、今更羞恥心も何もないもんだと私を小バカにしているんでしょう、そうだわ、そうに違いないわ」
「そうそうそう」「exactlyでんがな」「ぐだぐだ言わんと」「早よう金払ってけつかれ」
「く、悔しい、キイイイィ……」
鏡子は床に突っ伏してさめざめと泣いた。突風にあおられて、ボロ家の其処彼処(ソチコチ)がきしんだ音を立てた。
見るに見兼ねて、部屋の中からユラリと出(いず)る、妙齢の女人が影ひとつ。
名を鈴香という。
鈴香、引き戸の玄関を勢いよく開け、訛(なま)り持ち二人組と対峙した。双子の婆であった。鈴香は打ち見ただけで、その下卑た性質(たち)を彼奴等のパーマ・ヘア、そして黄ばんだ皮膚、黒ずんだエプロンや彫刻刀で抉ったみたような顔面のいくつかの深い皺やの上に見出し、我知らず露骨(あからさま)に柳眉を逆立てたことだった。
「いくらやまんねん」
「二千円や。早よせえや」「せえや」
鈴香が財布から二千円取り出すと、右の婆が右腕を、左の婆が左腕を振りかざし、対称に飛びかかってきた。鈴香、「オット」と素早く後方に身をかわし、徐に煙草に火をつけ、「今、1:56……、57分になったら渡してけつかりかんでん」
「今渡せ」「早よ渡せ」
「ウルセイ!」鈴香一喝。双子は美人の迫力に気圧されその場に根。
「あんたら、それが人にものを頼む態度ですかい……、エエ、そんなに切羽詰まるくらいなら、前もって済ませておきゃあいいじゃないか。忘れないよう心がけておくべきじゃあないか。
それを忘れてただなんて言うってこたァ、結局自治会費の集金なんてあんたらにとってそれ程重要な事柄ではなかったってことじゃあないのかい、自治会費の集金なんて、恐らく何処の誰にとっても重要な事柄とはなり得ないんだよ、such a しみったれthingでギャースカピーチクやってあんたらも暇なんだねェ、暇なら暇で結構だけど、もっと心にゆとりを持って生きたらどうなんだい、エ、カリカリしちゃって、みっともないったらありゃしないよ……、ホイ、57分だ、お望みどおり渡してやらァな、持ってけドロボー」
千円冊を一枚っつ、双子のまぶたにぴしゃりと貼(ヤ)ッて、その上から煙草の煙を思う様吹きかけた。双子は何やら罵詈雑言を喚きちらしながら前のめりに駆けて行った。ハラリ、ハラリと鈴香の目の前に落ちてきた白い紙片は領収書であった。
『2000円。7月〜9月の自治会費として。確かに領収致しました』
鈴香ちゃん……と鏡子、手弱女の恥じらい感じさす伏し目、まつ毛は乾ききらず目縁に黒々とした影をば落とす。
「ありがとう。素敵だわ、鈴香ちゃんは」
何を仰る、と鈴香は、細く長い、拵えものみたような指で、鏡子の下まつ毛の涙を優しく拭った。
「鏡子さんの方が不思議で、ちょっと自意識過剰気味で、素敵だわ。泣いてしまうくらいなら自治会なんかやめてしまえばいいのに」
それがなかなかねェ……とお茶を淹れながら鏡子。
「ゴミ出しのことやなんか、いろいろお知らせが回ってくるし……、それに、白い目で見られるのよ。テレビを無料(ロハ)で見てるとか言われたり……」
「テレビ?」
「ご近所一帯、共同アンテナでもってテレビが見られるのよ。自治会費の中にそのアンテナ代も含まれているから……」
「もういいわ。くゥだらない」
鈴香は寝転がって漫画の続きを読み出した。が、悄然(ションボリ)している鏡子を見て、
「でも、鏡子さんのことは好きよ」
鏡子は、創造上の薄幸な女がよくやる、目を潤ませたままながらの微々とした笑みでもって、鈴香に応えた。
鏡子の夫は正一(まさいち)という。この正一というのが、どうしてだか道端に落ちているものを拾ってくるという奇癖の持主。駅と家との通り道に、不法投棄に打ってつけの空地というか野ッぱらがあり、そこからカラーボックス、漫画本、木材、アイロン台、などなど、その他壊れた電化製品を拾ってきて、休日一日がかりで直していたりする。かといって、それらを大いに活用するかと言えば、そうでもない。アイロン台などは、なかなか手頃な大きさで、試しに鏡子が使ってみた所足の部分がどうかしていたのだろう、ヘナヘナひしゃげてペタンコになってしまった。それで結局、資源ごみの日に鏡子が捨てに行く破目になった。こういうことは間々ある。また、漫画などにしても、鈴香の退屈凌ぎには重宝しているようだが、それまでは壁際に積まれたままであったのだ。
しかしある夜、正一がとうとうモノでなく人を拾ってきたのには、馴れっこであったはずの鏡子もサスガに面食らった。それが鈴香であった。どこもかしこもボロボロで、薄汚れている鈴香を見て鏡子は内心大いに狼狽しつつ、
「まァ、いらっしゃいませ……あの、正一さん、コチラは」
「さて、ねェ……」と正一は鈴香をほったらかして家に上ってきた。「野ッぱらで眠りこんでいたのだよ」
「まァ、まァまァ。そんな馬鹿なことが、エエーィ、一体全体、滅多やたらにあっても、ア、よごザンショーか。とりあえずお顔を拭いて……さァさ、お上んなさいな」
居間に鈴香を座らせて、鏡子はぬるま湯で湿らした手拭いでもって鈴香の顔を猫の子にしてやるようにゴシゴシ拭いた。正一は風場牛でテレビを見ていた。それまで空蝉の如く憮然としていた鈴香、唐突(だしぬけ)に顔をガバリと上げ、そのまま後退(じさ)り、鏡子と目を合せたまま土下座のように身を低くし、
「手前、生国は訳アリで申せませんが、姓は三菱名は鈴香、三菱なぞというと財閥めいた響きでござんすが、縁もユカリもありゃしないのがやり切れぬ所……お兄(あに)ィさん」と言って正一を見、「そしてお姐(あね)ェさん」、と言うのを、鏡子がビックリして、「この人、正一さんよ、私鏡子」と制してもまだ懲りずに、「ハッ、お名前シカと承知仕りました、正一にいさん、鏡子ねえさん、自分、訳あって数日前より無宿の身の上なのでござんす。お願いします、しばらく手前をここに置いてやってもらえないでしょうか、どうか、どうか、アお願いしまァすゥ」
と何処で覚えてきたやら、怪しげな口上様(よう)のものをひとしきり述べて、平蜘蛛で額ずいた鈴香だった。
「アラアラ、アラまァアラさてサントリー((C)岡田あーみん)……どうしましょ、ねェ、正一さん」とおろおろする鏡子を尻目に正一は「ウン……まァ、いいんじゃないか」と、然らぬ体で麦酒を飲んでいた。……
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