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玄関を出るなり、とぐろを巻いた蛇に出迎えられたのであった。待ちかねたとばかり鎌首をもたげた其奴は、然程の尺ではないが美しく肥えた蛇である。私は少しく狼狽(うろたえ)、同時に拍子抜けしたことだった。
どうやって海を越えてきたのかなぞ、私には知る由もないが、何故だかどうにも、コヤツこそ綾瀬よし子をば死に至らしめた件(くだん)の蛇だと思えてならなかった。あの執念(しゅうね)し女の血ィのみならず、怨念までをも一(いち)時(どき)に吸い上げてしまった蛇なのに相違なかった。そうでなければ私をこんなにも真正面(まとも)から、シッカと、半ばすがるように、しかし道連れの決意は固いといった風な目つきで、見据えるはずはないのだった。もはや助かる術はないのだと思うとさすがに目の前がくらくらとしたことだった。
妻との関係はここ半年ほどで俄然ギクシャクしたものになってしまった。妻は「鬼龍院さんみたいになったらどうしよう」と顔と唇とを同程度に、大層蒼くして、おこりの如くに震えておった。妻は妊娠して爾来(じらい)都こんぶばかり食べるようになった。
私が「いい加減にしろ」と妻の妙に冷たい頬をはたいたその折も、妻は都こんぶを犬の舌ヨロシク口角からだらり垂らしたことだった。はたかれて向いた先の床をぼうっと見つめたまま、やめろというのにまた口にした。
「鬼龍院さんみたいになったら、どうしましょう!」
綾瀬よし子は、綾瀬よし子というくせに、会う人ごとに「鬼龍院華代と呼んで頂戴」と前置いた。彼女のペン・ネームであったが、小説を書くのをよした後もそう名乗り続けたので、知人でありながらにして彼女の本名を知らぬという人も多かったに違いない。
また、「J・C・G」というのも彼女のあだ名とでも言うべきものだが、この呼び名で彼女についてピンときたなら相当ニューズ通な御方であろう。わからないというお人にもこの由来(いわれ)については追付(おッつ)け知れる。
ちなみに彼女のペン・ネームは、82年公開の東映/俳優座映画放送提携作品である「鬼龍院花子の生涯」(監督:五社英雄 原作:宮尾登美子)のもじりであることは言うも更なりで、花子だとマンマであるし、派手好きな女であったから、「花」より「華」の字を選(よ)ったであろうと思われる。
会いたての時分、私が本名で呼びかけるとよし子は、すこぶる付イヤな顔をして見せたものだった。しかし私とて、人前で彼女を「鬼龍院さん」と呼ぶのが大きに恥かしく、また、何とはなしに気に喰わぬのであった。他人に注目されること、コレ生甲斐也、といったような女である。私が彼女を「鬼龍院さん」と呼ぶことにより通りすがりの誰(たれ)がしが耳慣れぬ発音に振り向く、たったそれしきのことで彼女のしゃ面(つら)には少しく満たされた表情が湛えられるのであった。斯様などうでもよろしいことで喜べる彼女をば、かわいいで済ますことの出来る心の広い人間も世には居ろうが、生憎ヤツガレめのは猫の額ばりなのであった。
名字を呼ぶと彼女の思うツボであるからして、まだ一般的と思える下の方の通り名「華代さん」と呼ぶことにした。それもよほどの時で、なるべく名前を呼ばずに済むよう会話を進めることを心がけた。心中では所詮綾瀬よし子は綾瀬よし子でしかなかった。……