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壱
そういう体質というのやら知らんが、特別寒くもないのに始終乳首が冷えやがる。なもので、湯船で丹念に温めてやるのが、日課のよなものになっております。
入浴には日が沈むか昇りつつある時分が頃合である。いつでもこりこり張っているのが、湯に浸かるとやらかく戻される。普段余りなついてくれぬのが、その間(ま)だけにしろ自分の一部に成下ってくれたよで、好い塩梅なのであります。
でその日は夕刻に湯を張ろうと、浴室に参りますと、湯船の底に赤い、線状のものがひとつ張り付いておる。みみずのちっと細く短くなったよな、はたまた生理用品のヒモが知らぬ間(ま)にぷつと切れて沈んだままになったか、何にしろ気持のよいものではなかろうと、手桶に水汲んでざあざあ流したものの、そのものといったら隣合せのタイルの隙間埋めるよにして丁度ぴったり入り込んでいるものだからぴくともしやせん。
仕方がないのでちり紙(し)幾枚か重ねてつまみ、コワゴワ覗いてみますと、先の方は丸みを帯びているものの多少すっとすぼまった感じで、節として区切られているよな線があります。生きてたものに相違ないようです。みみずの乾いたのに見えますが、爛(ただ)れたよに赤色をしたみみずなど果してありましたでしょうか。
内側からしおしおすぼまった体ですが、先程水をかけられた為か表面はてらてらと光っております。もしや体表から水分吸収し、みるみる活気づいてきゃあがるなんてことは、そう思うと今にも彼奴くねり出さんぱかりに見えてきて、あたしそこでようやっとハッとしてゾッ、束ねたちり紙(し)ごとくしゃと丸め屑入に突っ込んだのでありました。
あたくし湯につかり、乳首ほぐしながら、そのやたら赤いみみず様(よう)のものを思い起こしております。もしやあれは夫の仕業ではあるまいか。近頃の夫まっことイタズラが過ぎて、最早茶目では済まされぬ。
結婚前にはその兆すらなかった。結婚したても変りなかった。きっかけはそう忘れもしない、結婚後半年ほど経ってからの、あの闇夜の手洗事件でありましょう。
弐
その夜あたくし、一度寝ついてからの深夜小便意を催しまして、隣で眠る夫起こさぬようそっと寝室を忍び出たのでございます。で、住む家のことですから、ドアーや物の位置など、何となく察せられるだろうと軽んじて、廊下も真暗闇のまま手探り探りで進んでいったのです。
そうして何てことなく用を済ませ、手洗の戸ォ開けた所、なんとまあ、寝室でぐっすり寝入っておったはずの夫の顔が、生霊の如くいきなり中空に浮んでおるではないですか。後から見れば、黒い寝巻を着た夫が、あたくしと同じくして夜中に便意催し、丁度鉢合せた格好だったと、一目瞭然ですが、その一瞬間といったらあたくし意表をつかれた体できゃっとひと声、足が変な風にもつれて便器にお尻からすっぽりはまってまったのでございます。
夫はあたくしの余りの驚き様(よう)に驚き、大丈夫かとあたくしを助け起こしてくれました。
「ごめん、びっくりさせる気は毛頭なかったのだが、うとうとしながらトイレに行くか行かぬか迷っていた所、キミが起きたものだから、ついでと言っては何ですがやってきたんだ」
そう言う夫は、この時点では本当に、このような心持であったのでしょう。しかしこの椿事が、彼の心の奥底に、きっと生まれながらにして備わっていたのであろうイタズラ心を刺激したことは、まず間違いないと思われます。
そうして一番いけなかったのは、腰抜けたよになっているあたくしに必死に謝りながらも、いつしかクツクツと笑い出した夫につられ、あたくしも笑ってしまったことでしょう。ここでぴしゃっとやっつけていたら、あたくしたち二人のその後、その日を境におかしな方へと転げていくのを、防げていたのかもしれませんでした。
それからの夫がどうであったか。彼はあたくしのびっくりする様をすっかり気に入ったらしく、あの晩のよな偶然を待つばかりでなく、自分でちょこちょこイタズラの策を練るようになったのです。
はじめの頃はコッケイな面を被って帰宅するやら、洗濯に出すズボンのポケットに贋の蟷螂(かまきり)忍んでおる、はたまた頭洗いの時分背後にそっと近寄って来肩甲骨の辺りペたり蒟蒻貼っつけてくるやら、まだかわいらしいと言えるものどもでしたが、段々それらが趣向を凝らし、または本物を使ったりという風にエスカレェトしていっても、止むを得ない道理というものなんでしょう。
しかもひっかけの対象たるあたくしが、タイミングさえ過たねば……夫はその辺天性のカンとでもいうのでしょうか、心得ていたもので、適度な間隔をおいて仕掛けてくるのです……ほとんど何をやられてもひっくり返るので、その様見たさの中毒みたようになって、ヤミツキになっていったのでしょう。
とうとうある朝、あたくしがもしやと一等恐れていたことが起こり、それというのは蛙、あたくし蛙が大嫌いで、夫もそれを承知しておったのですが、どこで捕えてきたのやら相当にまるまると、イボイボとなっているものを玄関に放つという、あんまりなイタズラを決行してきゃあがったのです。あたくしにとってそれは暴挙とさえいえる仕打でした。ぴょんこと跳ねたりひとっ所(とこ)にじっとうずくまったり、そのものの一挙一動にいちいちびくびくし、廊下のどんづまりで声あげ泣き叫ぶあたくしを見、夫はさも満足という風にけたけた笑い狂うばかりでござんした。
しかもいざ追い出す段になると、夫も素手ではやれず、ほうきを使ってへっぴり腰、彼奴の尻をおったてている始末なのです。
「はっは、チョイトやりすぎちゃったなァ。ごめんごめん。でもキミの方にだって罪はあるんだ。キミの驚き慌てる様がアンマリかわいいもんだから……ヒヒ、ヒ……」
なぞ言いつつ、ヒイヒイ泣きじゃくるあたくしの頭(つむり)撫ぜてくれましたが、その腕やら足やら体中、スゥツごしにだってはっきり伝わってくる、ぷるぷると小刻みに震えておるではありませんか。夫だってきっと蛙がこわいのに決っておるのです。
それにも関わらず何故こんなことをやらねばならぬのか。いわば両刃の剣とでもいうよなイタズラを。否やらねばならぬ道理なぞないのです。一文の得にだってなりゃしないのですから。
しかもこんな馬鹿騒ぎのために、夫は常より三十分余り遅く宅を出たのです。会社に遅刻しただろういうことは明白です。そうして恐らく会社に居ったって、早くも今度のイタズラについての計略をにたらにたら思い巡らっしているだけに違いないのです。
これはこちらからも一発仕掛けて目を覚まさせてやるべきだと、しかと決心したのはこの時です。あたくしの蛙嫌いを知っていて尚、笑い狂えた夫への恨みも、正直ないではなかったですが、このままでは夫自身の心身さえもすりへっていくだろうことは目に見えていましたから、己がひっかけられ漸くその馬鹿ばかしさ、虚しさに気付いてくれるやもと、目算立てたのもまた確かです。
参
さて、それから三日ばかり計画練りに費やし、頭ン中での段取終えるや否や、あたくし行きつけの美容院に向かいました。ちっと無理言った感じにはなりましたが、マネキンの首だけみたよなのとなるべく嘘くさくないカツラ共に拝借に成功、これら組合せて恰(あたか)も女の生首のよにして就寝前の夫の寝床に仕込んでおくという寸法です。
そのものだけだとつまらぬ気がして、どうせじっと見たらつくりものとすぐばれますし、パッと見のインパクト強まればよろしいのですから、昼間わざわざその為に買い込んだ赤絵具、マネキンの口の周りにたらーりたらりと落しておきました。あとは隣の布団にもぐって、夫が寝に来るのを待つばかりです。
で夫は常の如く、風呂上りに台所で麦酒一缶あけてから、こちらに参ったようです。そろそろだなと思った丁度その時分、廊下がぎしりきしむ音が致したのです。
最後の仕上げの時だ、あたくし握りしめていたタッパー腕ごと夫の布団に突っ込み、マネキンのお頭(つむり)の天辺で蓋開け豪快に引っくり返しました。ざあぽとぱさと雨垂れに似た、それよりは少し乾いた小気味よい音(ね)が一頻り鳴りすぐ止む、あたし素早く腕をこちらに引き戻す、と襖が開(ひら)く音が致す。正に間一髪のタイミングでござんした。
「あれ、オマエもう寝ているのかい」
あたくし、いつもより早く床に就いている訳を、いろいろ考えてはおったのですが、何にも知らぬ夫が呑気な口調で言ってくるもんですから可笑しくってオカシクテ、笑い堪えるのに一苦労。息も自然荒くなり、口開けたらきっと途端吹き出してしまう、言訳なんかとてもとても、といった具合であったので、急遽作戦を狸寝入に切替える。
そうして然るべき間(ま)の後(のち)、夫がヨッなどと言って布団ばさとめくる音、続け様予想以上の叫び声が。あたくしそのシィン確めるべく被っていた布団はねのけると途端夫の尻が顔面を痛打。アンマリびっくりしたようで尻餅ついた所、丁度あたくしの顔が滑り込んだ形になっちまったのです。夫の尻の下から垣間見た限りですが、やはり仕上げにと昼間狩集めておいただんご虫、血塗(まみ)れ女首(にょくび)にわらわらとたかる様ァ実に効果的で、我ながらチョイトおぞっとなる代物。
尻に横顔抑えられつつもあたくし、クスクス笑いと荒い息、我がちに喉に競り上ってくるのを、どうにも止められやしませんです。
「オ、オマエの仕業だナ」
と醜態の照れ隠しの為か、わかりきった事を口走る夫。
「そ・ふ・よ」
横っ面押し潰され、苦しく息を弾ませつつもあたくし、喜喜として答えます。
「アアタがあんまりしつっこく馬鹿みたよな事してくるから、お灸をすえてやったんだわ」
やっと退いてくれた夫、寝たまましかと見上げるとその赤ら顔にタラリ・タラァリ玉の汗かいてい、両目は脂ぽくキラキラと潤んでおります。憤りの為かと思いきや、表情を一緒くた見るとどうもそうではないらしく、寧ろ非常にさわやか、将来の夢見つけた少年とでもいう風情なのです。
あたくしイヤァな予感に苛まれ、早いとこその場逃げ出そと顔上げました所その刹那、夫に襟首持たれぐいと引き寄せられてしまいました。
「マンマとひっかかってしまった」
と汗やら何やらでてらてらした顔を妙にこちらに近づけて参ります。吐く息やら顔の表面そして襟首持つ掌など夫の全体が妙に熱っぽく、何だかいやらしく、あたくし逃げよと体ごともがくのですが夫にたらにたらするばかり、てんで放そうとしてくれませぬ。
「俺はひっかかってしまったのだ、エエ……理由を問うたら、オマエサン何だかんだと言うんだろうが、そんなこたァどうだってよい、それよりどうだったのだ、これを考えていた最中のオマエさんの心境をこそ俺は知りたいのだ、はたまた仕掛けている時分の気持、そうして俺が見事ひっかかって不様にひっくり返った瞬間の心持……オマエ、面白くてオモシロクテたまらなかったんと違うか、エエ?」
「……」
「俺が来るのを今か今かと待つ間、妙に興奮したんだろう、エエ?」
「な何て下卑たこと……いいかげん目を覚まして頂戴なっ……」
「よいではないか。俺はこれを待ちわびていた風でもあるのだよ。たった今、オマエにしてやられて気付いた所だがね、むふふ、二人で驚きおどかされ、面白仲良く暮していったらよいじゃないか。オマエ日がな一日家に居って暇だから、イタズラに耽るにはもってこいの生活だろう」
「し、失礼な」
「むふふ……まァよい、イタズラ仕掛けた方が自分で片づけるルールといこうじゃないか。俺は今日そちらの布団で寝ることにするから、オマエ後片づけはしっかりな」
そう言って夫、あたくしが元いた所に寝そべって本なぞ読み出しましたが、だんご虫拾い集めっつちらと見やると、ページ繰りながら何やら企んでいるよにニヤニヤ笑っておるのです。その気味悪さったら徒(タダ)ならぬ、おぞっとさせられ女の首引っ提げ足早に室を出ようとしますと、背後から、
「うふふ……楽しみだねえ」
独白とも呼びかけともつかぬ台詞。
何にも答えようがありませんから、あたくし唇噛んで部屋を出で、借り物の女顔(にょがん)鮮やかに染める赤絵具を、洗面所で洗い落とす作業にしばし専念致しました。長い間ごしごしとこすっておった気がします。最前の夫のいやらしい、気色の悪い顔ったら、打ち消して打ち消しても心にぷかり浮かんで来、あの夫の傍に寄るのを何とか先伸ばしにしようと、自己防衛とでもいう機能が働いたものでありましょうか。…
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