うちの猫。
猫が我が家に来たのは10年ほど前のこと。
好きな浮世絵師の名前をとって「絵金」と名付けた。
猫と一緒に暮らすのは初めてのことだった。
ひと目見た時からもうかわいくてかわいくて、私は絵金のとりこになってしまった。
でもずっと愛することができるかしら、途中で飽きたりしないかしら……とはじめの頃は不安に思ったりもしたけれど、そんなのは杞憂だった。
10年経った今でも絵金が大好き。絵金への愛情は日増しに募るばかりである。
ひとことも言葉を交わしたことがないのに、私たちはとても仲がいい。
寒い日は布団で一緒に寝ることもある。
あったかいし、それにあのゴロゴロいう喉の音を耳元で聞くことができるなんて……! とんでもなく幸せ。
私たちは信頼し合っている。血が繋がっている人たちといるよりよっぽど安心する。家族よりも分かり合えている気がする。
絵金と一緒にいると、誰かと仲良くなるのに言葉なんかいらないんだなと思うよ。
人間も、言葉を喋らない方がよかったんじゃないかと思うよ。
内田百閒が、『ノラや
ノラもクルもどこにでも、いくらでもゐる駄猫で、それが私には何物にも換へられないのである。
内田百閒『ノラや -カーテル・クルツ補遺-』
と書いているが、私にとっての絵金もそうだ。
猫自身は、自分がノラ出身だとか血統書つきだとか、そんなことは考えもしない。
血統書つきでない人間も、猫のように周りなんか気にせずにノビノビと生きられたらいいのだけど。
猫は化粧水をつけたり、着飾ったりしなくてもずっとずっとかわいいままなんだ。
猫を見ていると、人間が敵う所なんて、ひとつもありやしないと思うよ。
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