うらなか書房のあやしいグッズあり〼

うらなか書房と申します。AmazonYahooTシャツトリニティなどで、ちょっとあやしいTシャツやグッズの販売をしています。このブログでは、おすすめの映画や漫画、本、その他風変わりなもの・場所などの紹介をしています(たまにお役立ち情報や陰気な話も書きます)。

辛気臭い歌を歌ったりもしています(配信ストア

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ブログに雑記を書いている理由

time 更新日:  time 公開日:2017/02/11

このブログがブログらしいブログ(?)になったのは昨年のことです。
それまでもここでうらなか書房のウェブサイトを運営するにはしていたのですが、うらなか書房の作品をただ黙々と掲載していくというものでした。好きな本や映画については別のブログに書いていました。
その頃は、おこがましくも「作品だけで勝負したい」というような気持ちがあったのだと思います。

2000年代のうらなか書房は、アートフリマというものに出展することをメインに活動していました。5、6年の間、関東で行われるアートフリマに、多い時は月1~2回くらいのペースで出ていたでしょうか。そこでちょっとは名が売れるんじゃないかと考えていたのですが、うだつが上がることは全くなく……。

その後いろいろあって一時期うらなか書房の活動を休止していたのですが、その間にアートフリマで使っていた道具がカビたり錆びたりして使い物にならなくなったということがあって、その時自分の中で何かが終わりました。本当は、そのだいぶ前からアートフリマに出ていたってどうしようもないことは薄々気付いていました。時間的に活動できないことと重なって、そこでやる気の糸がプッツリと切れてしまったのでした。

それからまた少し時間に余裕ができてくると、やはりうらなか書房を続けたいという気持ちが湧いてきました。ただ上で述べたように、アートフリマに出展するという活動にはもう限界を感じていました。
そこで今まであまり活用していなかったネットをメインに活動してみようという気になりました。

うらなか書房の作品を載せているだけだと、うらなか書房を知っている人しかアクセスしてこないので、本や映画、珍スポットなどの記事を別ブログから移行してきたり、新しく書いたりしました。
それによりブログにアクセスしてくれる方は以前よりは少し増えました(単純にアクセスアップを狙うなら、iPhoneだとか流行のゲームだとかの記事を書いた方がいいのかもしれませんが、その方面に全く詳しくないですし、あまりにもうらなか書房のカラーとかけ離れている記事はちょっと……ということで、自分が興味があることや実際に体験したことについての記事を書くようにしています)。

で、サイドバー(スマホの場合は記事のもっと下の方)に「人気記事」が出ているのですが、これを見ると映画、本、漫画、それとWeb関連の記事が多く、雑記が入ってくることはほぼありません。

雑記というのは自分の考えなどを書いている文章で、コラムとかエッセイとかいった方が分かりやすいのかもしれませんが、横文字だとなんだか大層な感じになってしまい気恥ずかしいのでこのブログでは「雑記」カテゴリーとしています。
昨年のリニューアル以降、本や映画を紹介する合間に雑記もちょこちょこ書くことにしたのですが、雑記は本や映画と違い検索に引っかかりにくいですし、自分が日々考えていることを書くので底の浅さが露呈するというデメリットがあります。

以前の私だったら、これってアンマリ意味がなさそうだな……と、雑記を書くのをとっくにやめていたかもしれません。しかし、「人付き合いが苦手な自分に罪悪感を持っていた(今でもまだ少し持っているかもしれない)」という記事で書いたのですが、私は人に自分のことを話すのがあまり得意ではないのです。という訳で、ブログに書いておけば、いざという時に自己紹介代わりになるかもしれない、と思ったのが書く理由のひとつです。

それと、絵やブログの見た目、好きな本や映画のラインナップから、自分がどういう人間かということが見た人になんとなく伝わるだろうと思っていたのですが、どうやらそうでもないようなので、自分が考えていることを文章にすることによって、親近感を持ってもらえるようになるのではないか……と思ったのもあります(しかし暗い話になりがちなので逆効果だったりして……)。

また雑記を書いている内に、岡本太郎の本の言葉を思い出しました。

激しく挑みつづけても、世の中は変わらない。
しかし世の中は変わらなくても自分自身は変わる。
岡本太郎『自分の中に毒を持て』

絵を描いてもブログに思いを綴っても、よほどの有名人でない限り世の中に影響を与えることはほぼないでしょう。
しかし描いたり書いたりすることによって、自分がどういう人間なのかを新たに発見することがありました。
自分が変わる」、これだけでも立派に描いたり書いたりする理由になるのではないかと、今では思えます。

「自分が変わる」ことに意味があるのか……といわれたらないのかもしれませんが、何かにつけて意味があるのかないのかを突き詰めていくと、

自分の一生がなんの実も結ばなかったと嘆く者がいたら、生それ自体が、もっと悪いとはいわぬまでも、似たような事情にあることを思い出させてやるに限る。
E.M.シオラン『生誕の災厄』

シオランもいうように、結局人生自体が無意味っちゃ無意味ですから……。

また、室生犀星の小説に、

生きるのに何を皆さんに遠慮する必要があるもんか。
室生犀星『蜜のあわれ』

という文章があります。

私は今まで世間というものに遠慮しすぎていたのかもしれません。
絵を描いていれば、それを見た人が自分の内面をおのずと察してくれるだろうと思っていたのですが、もっと直接的に形にしないと、自分の考えというものはなかなか外界には伝わらないようです。もう少しだけふてぶてしくなって、書きたいことがある内は書いてみようと思います。

そして記事を書くのがひと段落したら、絵の方に取りかかるつもりです(と、去年からそんなことをいっていますが、なかなかひと段落せず……)。