本を読んでいて、この作家のこの作品はものすごく好きだけど、他はボチボチだな……とか、ほとんどの作品は好きなのだけど、熱狂的に好きと言える作品はないなァ……なんて思うことはありませんでしょうか。
そういう場合って、どこからファンといっていいものなんでしょうかね。
……って、正解がある訳ではないのですが、自分に当てはめて考えてみることにしました。
ついでに好きな小説や本をちょこっとずつですが紹介します。
よくいう中二病というやつをこじらせている方だったらピンとくるラインナップかもしれませんので、よかったらご覧ください!
目次
夢野久作
十代の終わり頃に、このあやしげな表紙に惹かれて『ドグラ・マグラ』を読みました。
全体的にひどく禍々しい雰囲気なのに、所々ユーモラスな文章やキャラが出てくるそのツンデレ(?)具合にスッカリ魅了されました。
しかし何回か読んでいますが、いまだに内容はよく分かっていません……。
「これを読む者は、一度は精神に異常をきたすと伝えられる、一大奇書」
なんていう恐ろしいキャッチコピーがついています。
でもただ単にステキにイカした宣伝文句というだけのことなので心配ご無用ですよ……だって私はこれまで『ドグラ・マグラ』を何度か読んでいますが、精神に異常なんてチットモきたしていないですからネ……ウフフ……アハハハ……
(ブウウ―――――――ンンン……)
……その後古本屋で三一書房の『夢野久作全集』購入して読みました。
『ドグラ・マグラ』はちょっと別格ですが、他の小説も狂人やタブーを取り上げたものが多く、おぞましい気分になったりドキドキしたりさせられます。
これについてはまた別に記事しようと思っています。
後日夢野久作に関しての記事を書きました
恐らく夢野久作に関してはファンといってもいいような気がします。
江戸川乱歩
乱歩⇒夢野久作に流れる人が多そうですが、私は逆で、夢野久作の後に乱歩を読みました。
講談社の全集を持っているので、大人向けの小説や随筆は大体読んでいると思うのですが、子供向けの『少年探偵団』シリーズなどはほとんど読んでいません。
やっぱり初期の幻想怪奇な雰囲気の短編小説が好きです。
「人間椅子」「押絵と旅する男」「鏡地獄」「屋根裏の散歩者」「芋虫」「陰獣」「パノラマ島奇談」「蟲」「人でなしの恋」「孤島の鬼」など……。
ただどれも好きなのですが、突出してコレ! といった作品はないのですよね。
強いてあげるなら「蟲」かなァ……くらいの感じです。
それと作家生活の中盤以降の長編小説にはあまりピンとくるものがありませんでした。
しかし中盤以降も随筆は好きです(『探偵小説四十年』の中で「もともと生きるとは妥協することである」なんていう陰気な文章を書いています)。
でもこれだけ好きな作品があるということは、やっぱりファンなのかもしれませんね……。
「海鰻荘奇談」香山滋
作品単位でいうと、香山滋(「ゴジラ」の原作者)の「海鰻荘奇談」が実は一番好きかもしれません。
ある博士のお屋敷……通称「海鰻荘」で殺人事件が起こるのですが、その殺害方法の奇抜さとスケールの大きさといったら……!
人間を文字通り骨と皮にする悪魔の正体とは……!?
そしてヒロインの、大人の女の色気とは違う、少女特有の小悪魔的なエロチシズム、それに翻弄される周囲の男たち、囁き声での殺害予告、巨大なうつぼの群れ、霊魂の登場、そして、
「いのちをたもつのも、いのちをほろぼすのも、どちらもたのしいあそびだったら、ほろぼすほうをえらんだからって、どうしてそれがざいあくかしら?」
という退廃的な台詞……。
奇想天外すぎるストーリー展開の探偵小説です。
ただ、他の小説もポツポツ読んだのですが、やはり「海鰻荘奇談」ほど惹かれるものはありませんでした。
ので、香山滋のファンとは名乗れそうにありません……。
「湖畔」久生十蘭
久生十蘭の「湖畔」という小説もものすごく好きです。
もともと自分の顔にコンプレックスがあった貴族の男性が、ある出来事から顔に大ケガを負ってしまい、ますます自分の容姿への自信を失う。
しかし貴族ゆえのプライドの高さから、表向きの態度は尊大である。
そんな男が、天真爛漫な美少女に一目惚れをし……。
とあらすじだけ書くとなんだか陳腐なラブストーリーのようですが、この小説の魅力は何と言っても格調高い文章ではないかと思います。
そしてそれまでの絢爛豪華な雰囲気から一転、水墨画のような虚無と静寂を感じさせるラストシーンにもしみじみさせられます。
「母子像」「昆虫図」「ハムレット」「予言」「黒い手帳」などもそこそこ面白かった気がするのですが、やはり「湖畔」の印象が鮮烈でした。
「木犀」尾崎翠
「第七官界彷徨」が代表作だと思いますが、私は「木犀」という短編小説にグッときました。
貧乏な女性文筆家の話です。
男性との別れを思い出したり、妄想のチャップリンと会話をしたりする主人公。
妄想のチャップリンと会話……? どうかしちゃってるだろ、と思うかもしれませんが、この辺りは割と飄々と話が進んでいき、それほどの悲愴さは感じられないのです。
しかし終盤になって突然、
「お母さん、私のような娘をお持ちになったことはあなたの生涯中の駄作です」
「私は枯れかかった貧乏な苔です」
とネガティブすぎる文章がぶっこまれてきます(苔、という言葉はそれまでにも何度か出てきますが、そこまで思い詰めている感じではなかった)。
尾崎翠自身その後30代半ばで筆を断ち、失意の内に故郷に戻ったそうなので、恐らく自分のことを書いた文章だったのだと思われます。
淡々と物語が進む中、突如として衝撃的な鬱場面が差し込まれるという点で、つげ義春さんの漫画と相通ずるものがある気がします。是非つげさんに漫画化してほしいものです。
「義男の青春」も「別離」もやるせない話です……。
その後30年以上経って、亡くなる直前に尾崎翠は再評価されたようなのですが、その時は嬉しいと感じたのか、それとも今更、という気持ちであったのか……。
「木犀」の上記の文章があまりにも強烈すぎて、プロフィールに好きな作家として「尾崎翠」の名を挙げさせてもらっています。
しかし実は、香山滋の「海鰻荘奇談」、久生十蘭の「湖畔」的な感じで、その他の小説はものすごく好きという訳ではないのですよね……。
でも尾崎翠の人生自体のファンということで……。
「屋上の金魚」川端康成
『掌の小説』という掌編小説がたくさん収録されている本の内の一作品。
妾の娘が腹違いの姉にヤンワリといじめられて、母親(妾)が金魚をむしゃむしゃ頬張り、妾の娘は「ああ、お父さん。」と叫びながら母親をぶち××す……というアングラ劇団も真っ青のシュールで物騒な掌編小説。
「雪国」「みずうみ」「眠れる美女」なども読みましたが、それでも私は川端康成であればこの「屋上の金魚」を推します。
「屋上の金魚」だけがめちゃくちゃ好きなのですが、川端康成ファンかといわれると違うと思いますし、有識者からも怒られそうな気がするのでファンというのはやめておきます……。
「侏儒の言葉」「文芸的な、余りに文芸的な」芥川龍之介
「文芸的な、余りに文芸的な」というタイトルがすこぶるカッコイイのでタイトル買いした所、実は『人間的な、余りに人間的な』というニーチェの本があって、芥川龍之介はそれをもじっていたらしいです。
(好きになった曲がカバー曲だったことを知った時のようなちょっとした残念感……)
(それにしてもこの題名をはじめに訳した方のセンスはすごいですね)
「文芸的な、余りに文芸的な」の中では、
「僕の中の詩人を完成するために作っているのである」
(自分や他人の人格とか、社会のためではなく)
なんていう文章が印象に残りました。
しかし同時収録されていた「侏儒の言葉」の方が名言が多かったです。
というか、アフォリズムといって、「名言を書くぞ!」的な形式(?)の文章なので、その全てが名言で構成されているような作品です。
有名なものだと、
人生は一箱のマッチに似ている。重大に扱うのは莫迦莫迦しい。重大に扱わなければ危険である。
「侏儒の言葉」芥川龍之介
という文章があります。
上記もいいのですが、私は「人生は地獄よりも地獄的である」という文章が好きです(私はどうも厭世的だったりニヒルだったりする言葉をカッコイイと感じる傾向があるようです)。
正直芥川龍之介の初期~中期の作品にはあまりピンとこないのですが(「地獄変」は好き)、晩年の作品には鬼気迫るものが多く、この「侏儒の言葉」もたまに読み返したくなります。
「地獄変」芸術のためなら娘さえも……!
また「沼地」という掌編小説も心に染みるものがありました。作中に出てくる画家がゴッホを思わせます。
太宰治が「如是我聞」で述べていた「芥川龍之介の苦悩」……日蔭者の苦悶、弱さ、生活の恐怖、敗者の祈り――が凝縮されているような作品です。
太宰治
- 【クズ…?】私が好きな太宰治のエピソード5つ【熱海事件、芥川賞事件など】
- 芥川龍之介、太宰治、坂口安吾はなぜ子供を作ったのか
- 太宰治『眉山』と『人間失格』~恥の意識や愛人・山崎富栄について~
- 太宰治とゴッホ~その他「路傍の辻音楽師」という言葉について思うことなど
など、これまでこのブログでいくつか太宰治の記事を書きました。しかしファンかといわれると微妙な所です。
太宰治の行動にだけ目を向けるとだいぶクズなのですが、その文章を読むと不思議と憎めなくなる……。それでなんだか気になって作品や評伝を読んでしまう、といった感じでしょうか。
とかなんとかいいつつやはり好きな作品も結構あって、上の記事で紹介した「善蔵を思う」や「眉山」、そして太宰治といえばコレ、といった『人間失格』や『斜陽』も好きです。
太宰治はタイトルのつけ方が秀逸といわれていたようですが、確かに『人間失格』のインパクトはすごいですよね。
それと文中で一度だけ「人間失格」という言葉が出てくるのですが、その書き方が、
人間、失格。
太宰治『人間失格』
と、間に点が打ってあるのです。ただ単に「人間失格」と書くより劇的に見えるような……そして主人公の絶望がより伝わってくるような気がして、こういう所が上手いんだろうなァと感じました。
泉鏡花
ものすごく読みづらいんですよね……。
夢野久作の『ドグラ・マグラ』とはまた違った意味で読みづらい文章だと思います。
でもカッコいいんですよねェ。義太夫節を文章にしたような雰囲気があります。
「日本橋」「南地心中」あたりが物騒で好きです(「外科室」もちょっと物騒といえば物騒かもしれません)。
美しい伯爵夫人が、手術の際の麻酔を頑なに拒むその理由とは……!?
内田百閒
鈴木清順の映画『ツィゴイネルワイゼンa』の原作ということで、「サラサーテの盤」を読んでみた所ハマリました。
じめじめしていて、ゾッとするような怖さがあります。モダンな日本の怪談とでもいう趣です。
『冥途・旅順入城式』もホラーとシュールの中間のような趣があって好きです。
ただ、有名な随筆の方にはあまりハマれませんでした……。
あ、でも『ノラや』は好きです。
猫好きにおすすめするべきかどうか迷う本です。
猫好きだからこそわかる! という所もあれば、つらい所もあり……。
といった感じで、自信を持って「ファンです」といえそうなのは夢野久作くらいでしょうか。
しかし夢久についても熱心に読んでいたのはだいぶ前のことなので、正確には「ファンだった」というべきでしょうか……。
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