先日、『ブッダは、なぜ子を捨てたか』というなかなか刺激的なタイトルの本を読みました。
その本にガンジーについての興味深い記述が出てきたので、それについて備忘録的に書き留めておこうと思います。
目次
ブッダが子を捨てた理由
以前手塚治虫の漫画『ブッダ』
を読んだことがあるのですが、それによればブッダは出家をするために子を捨てたようです。
手塚治虫の『ブッダ』では、妻に子供ができたと知らされた時、ブッダ(この時はまだシッダルタ)は全く喜んでいませんでした。
喜ぶどころか「出家の妨げになるではないか」と誰にともなく憤り、もしも子供が生まれたら「ラーフラ(障碍)」と名付けるがいい、と妻に冷たく言い放って修行の旅に出てしまいます。
ちょっと……いや、結構ひどい父親ですよね……(漫画なので多少の脚色はありそうですが)。
で、それを題材にして1冊の本にしたということは、出家の妨げ以外にも何か隠された別の理由でもあったのだろうか……と興味をそそられ、『ブッダは、なぜ子を捨てたか』を読んでみたのですが、他にこれといった理由はなさそうでした……。
なんだかちょっと申し訳ないのですが、ブッダのことより、「ブッダとその人生がよく似ている」として途中少し紹介されていたガンジーの話の方が印象に残りました。
それによると、ガンジーは反出生主義的な考えを持っていたようなのです。
人生はつらいことの方が多いので、生まれないに越したことはないという考え方。
詳しくは以下の記事をご覧ください。
ガンジーの結婚や子供に関する年譜
13歳 | 結婚 |
---|---|
19歳 | 長男誕生 |
23歳 | 次男誕生 |
28歳 | 三男誕生 |
31歳 | 四男誕生 |
反出生主義どころか……
めちゃめちゃ子作りしとるやんけ……!
と思うかもしれませんが、ちょっとお待ちください。
ガンジーがブラフマチャリヤ(禁欲……性行為をしない)の誓いを立てたのは36~37歳ごろの時。
四男誕生から5年以上経ってからのことです。
非暴力抵抗とブラフマチャリヤ(禁欲)
ガンジーは24歳の時、南アフリカの聞きしに勝る人種差別(アパルトヘイト)を目の当たりにして、反対運動をしようと立ち上がります。
以後活動を続ける内に「非暴力抵抗」を唱えるようになったそうなのですが、ガンジーはこの「非暴力抵抗」と「ブラフマチャリヤ」を相補的な関係にあるべき、と主張していたのだとか。
「非暴力抵抗」と「ブラフマチャリヤ」に何の関係が……?
「人間は誰もが多かれ少なかれ暴力的だから、生まれないのに限る」ということだろうか――と思ったら、どうもそういう訳ではなさそうで……。
Wikipediaには以下のように書いてありました。
ガンディーはこのブラフマチャリヤを自らの指導する非暴力不服従運動の基礎であると考えていた。また、それは神に近づくための手段であり、自己の完成のための重要な土台であるとも捉えていた。
マハトマ・ガンディー
う~ん……分かるような、分からないような……。
性欲を抑えつけたら逆にイライラして暴力的になりそうな気もするのですが、どうなんでしょうか……。
ちなみに、『ブッダは、なぜ子を捨てたか』の著者は、「ガンジーのこの誓い(禁欲)は、半ば強迫神経症的なものだったのでは」との見解を示していました。
ガンジー、父の死に目に会えなかった事件
『ブッダは、なぜ子を捨てたか』でも確か少し触れていて、その後読んだ上の自伝にも出てきたのですが、ガンジーは父親を16歳の時に亡くしています。
ガンジーは懸命に父親の看護に励んでいたのですが、肝心の最期をみとることができませんでした。その時何をしていたかというと――妻と××××の真っ最中だったのだとか。
この時のことをガンジーは後々まで悔やんでいたらしく、この経験がブラフマチャリヤに影響したそうです。
しかし16歳の時から36~37歳ごろというと、約20年の開きがある訳ですが……。
で、その間にドサドサ子供をこしらえて……。もう少し早く禁欲していれば、長男を傷つけずに済んだかもしれないのに(この件に関してはこの下に書いてあります)……。
まァしかしこの事件をきっかけにして、徐々に徐々に禁欲に傾いていったということなんでしょうかね。
長男の再婚に反対する
その後また何年かを経て、ガンジーの長男の再婚話が持ち上がった時に、ガンジーは強硬に反対したそうです。
子供を産むことは原罪的な呪いの行為であり慎むべきである
『ブッダは、なぜ子を捨てたか』
とガンジーは主張したのだとか。
結婚しても子供を生むとは限らない訳ですが……。
土地柄なのか、時代のせいなのか、それともガンジー個人の思い込みなのかは分かりませんが、ガンジーの中では結婚と出産が当然のようにセットになっていて、「再婚=子供を生むこと」に反対した、ということなのでしょう。
長男が生まれたのがガンジー19歳の時、ブラフマチャリヤの誓いを立てたのがガンジー36~37歳ごろの時、で、その後どんどん反出生主義的になっていった――と考えれば、まァ筋は通っています。
自分が子作りしたからだというのに、
何の為にこいつも生まれて来たのだろう? この娑婆苦の充ち満ちた世界へ。
芥川龍之介『或阿呆の一生』
などとボンヤリしていた芥川龍之介に比べれば、よほど筋が通っているといえるでしょう。
しかしこれって、ガンジーは、「このこと(子供を産むことは原罪的な呪いの行為であり慎むべきである)にもっと早く気付いていれば、俺も子供を生まなかっただろう」といっているに等しいのではないでしょうか。
つまり自分の息子に向かって、
もっと早く気付いていれば、俺はお前を生まなかっただろう
といっているようなものかと。
「お前を生んだのは間違いだった」と……いや、ガンジーはそこまでは思っていなかったのかもしれませんが、いわれた長男の方はそう受け止めても不思議ではありません。
再婚を反対されただけでもショックだったでしょうに、その上自分の存在を否定されたようで、長男はやりきれない気持ちを抱いたのではないでしょうか。
それが原因なのかは定かではありませんが、長男はその後自制心を失い、酒と女に溺れる日々を送ったそうな……。
ガンジーは反出生主義者だったのだろうか?
再度引用しますが、
子供を産むことは原罪的な呪いの行為であり慎むべきである
『ブッダは、なぜ子を捨てたか』
これを読む限りでは、ガンジーは反出生主義的な考えを持っていたように思えます。
しかしその後読んだ『ガンジー自伝R』や『ガンジーの実像R』という本では、このようなことに関してはあまり触れられていませんでした。
ガンジーに関する他の本を読めばもしかしたら反出生主義的な記述があるのかもしれませんが――なんだか上に出てくる本を読んだらもうガンジーについてはお腹いっぱいになってしまったので、今の所これ以上読む気になれそうにありません……。
しばらくして、また気が向いたら他の本を読むかもしれません。そこでガンジーの反出生主義的な記述を見つけたら、この記事に追記しようと思います。
ちなみに、ブッダの息子・ラーフラは、成長してからブッダに初めて会い、その後ブッダの弟子になったそうです。修行のためとはいえ自分を捨てた父親を恨んではいなかったのでしょうかね……? ずいぶんとできた息子という感じがします。
追記
『父という病』という本でも、ガンジーと長男ハリラールの確執について少し触れられていました。
ハリラールは最初の結婚の時、ガンジーに何も伝えずに勝手に結婚したようです。もしかしたらハリラールはこの頃から、結婚するといったらきっとガンジーは反対するだろうと薄々勘付いていたのかもしれませんね(か、直接そういわれていたか)。
それを知ったガンジーは激怒。ガンジーとハリラールは2年間絶縁することに。
その後一旦は仲直りするものの、ガンジーはハリラールの嫁をいびったのだとか……。ハリラール本人ではなく、嫁を攻撃するというのがなんとも陰湿……。
この本を読んでも結局ガンジーが反出生主義者だったのかは不明のままなのですが、上記に加えて、家族に野菜しか食べないよう強要したり(普段はもちろん、子供がチフスで死にかけて医師に「栄養のあるものを食べさせてあげて」といわれた時でさえも)、ハリラールの留学のチャンスを潰したりもしていたとのことで、「世間的には偉人だとしても、父親としてはかなりイヤな奴だったんだなァ……」という気持ちが強まりました。
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