個人的に好きな芥川龍之介の名言(と私が感じる言葉)を集めてみました。
闇中問答
人生は「選ばれたる少数」を除けば、誰にも暗いのはわかっている。しかも又「選ばれたる少数」とは阿呆と悪人との異名なのだ。
芥川龍之介『闇中問答』
芥川龍之介は自身を「選ばれたる少数」だとは思っていなかったようです。誰もが羨む頭脳と才能を持ち、それが世間に認められているにもかかわらずです。
ある時、芥川龍之介が「死の暗黒と生の無意義」について萩原朔太郎に語っていたそうです。萩原朔太郎は芥川龍之介を慰めるつもりで、
「でも君は、後世に残るべき著作を書いてる。その上にも高い名声がある。」
といった所、芥川龍之介は「著作? 名声? そんなものが何になる!」と顔色を変えて烈しく怒ったのだとか(萩原朔太郎『詩人の死ぬや悲し』)。
才能も名声もない人間からしたら「なんて贅沢な……」とつい思ってしまいますが、その後芥川龍之介は自殺していますから、ご本人にとってはやはり人生は暗いものだったのでしょう。
上の言葉が出てくる『闇中問答』も、芥川龍之介が、悪魔らしき「或声」と芥川龍之介自身について会話をするという神経症的な内容の文章です。
ちなみに後に出てくる『侏儒の言葉』にも上記と似たような言葉があります。
或旧友へ送る手記
僕はゆうべある売笑婦と一しょに彼女の賃金(!)の話をし、しみじみ「生きるために生きている」我々人間の哀れさを感じた。
芥川龍之介『或旧友へ送る手記』
芥川龍之介が自殺した動機は「ぼんやりした不安」ということですが、実際の遺書にこの言葉は出てきません。「ぼんやりした不安」という言葉が出てくるのは『或旧友へ送る手記』の中です。
実母の発狂、不眠、不倫、姉の夫の死による扶養家族の増加―――などが積み重なって神経が参ってしまったのだと思われます。『文芸的な、余りに文芸的な』に、
人生は僕らに嫌応なしに「生活者」たることを強いるのである。
芥川龍之介『文芸的な、余りに文芸的な』
という言葉が出てきますが、売笑婦との会話からはその「生活者」の苦悩がよく伝わってきます。
河童
「僕は生まれたくはありません。第一僕のお父さんの遺伝は精神病だけでも大へんです。その上僕は河童的存在を悪いと信じていますから」
芥川龍之介『河童』
河童の国では、生まれる前に「この世界に生まれて来るかどうか」を親が子に尋ねます。そしてある河童の子供が出した答えが上記の言葉です。
もし人間にもこのような能力があったら……恐らく私も生まれない方を選択する気がします。生きているといいこともありますが、生まれると死にますからね。死ぬの怖いですよね。
文芸的な、余りに文芸的な
僕の作品を作っているのは僕自身の人格を完成するために作っているのではない。いわんや現世の社会組織を一新するために作っているのではない。ただ僕の中の詩人を完成するために作っているのである。
芥川龍之介『文芸的な、余りに文芸的な』
『文芸的な、余りに文芸的な』という書名がかっこよすぎて読んだのですが、後に元ネタがあることを知り(ニーチェ『人間的な、あまりに人間的なa』)、好きになった曲がカバーだった時のように軽くショックを受けたものです。
しかし上記のような素敵な言葉に出会えましたし、何より後に出てくる名言の宝庫『侏儒の言葉』を読むきっかけにもなったのでよしとします。
上記の言葉に似たようなことを江戸川乱歩もいっています。
小説というものが、政治論文のように積極的に人生をよくするためにのみ書かれなければならないとしたら、彼は多分「現実」とともに「小説」をも厭わしいものに思ったに違いない。
江戸川乱歩『幻影の城主』
芥川龍之介も江戸川乱歩も、実社会の役に立つなどということではなくて、自分なりの美を追求するために作品を作るというスタンスなのでしょう。それでこそ芸術家という感じがしますね。芸術といえば、芥川龍之介の小説『地獄変a』は鬼気迫るものがありました。芸術にご興味があり未読の方は是非。
侏儒の言葉
大作を傑作と混同するものは確かに鑑賞上の物質主義である。大作は手間賃の問題に過ぎない。
芥川龍之介『侏儒の言葉』
芥川龍之介が「傑作」について書いた『沼地』という掌編小説があります。見知らぬ無名の芸術家を庇う主人公の心情にじんと来ます。
我々の行為を決するものは善でもなければ悪でもない。ただ我々の好悪である。
芥川龍之介『侏儒の言葉』
人生は狂人の主催に成ったオリンピック大会に似たものである。
芥川龍之介『侏儒の言葉』
人生は一箱のマッチに似ている。重大に扱うのは莫迦々々しい。重大に扱わなければ危険である。
芥川龍之介『侏儒の言葉』
古来如何に大勢の親はこういう言葉を繰り返したであろう。――「わたしは畢竟失敗者だった。しかしこの子だけは成功させなければならぬ。」
芥川龍之介『侏儒の言葉』
「その罪を憎んでその人を憎まず」とは必ずしも行うに難いことではない。大抵の子は大抵の親にちゃんとこの格言を実行している。
芥川龍之介『侏儒の言葉』
人生は地獄よりも地獄的である。地獄の与える苦しみは一定の法則を破ったことはない。(中略)しかし人生の与える苦しみは不幸にもそれほど単純ではない。
芥川龍之介『侏儒の言葉』
『侏儒の言葉』はアフォリズムなので、他にも人生や芸術についての名言、格言がたくさん載っています。