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【展覧会】アドルフ・ヴェルフリ「二萬五千頁の王国」【アウトサイダー・アート/アール・ブリュット】

time 更新日:  time 公開日:2017/06/06

アドルフ・ヴェルフリ「二萬五千頁の王国」

アウトサイダー・アート/アール・ブリュットの代表的な作家の内のひとりであるアドルフ・ヴェルフリの展覧会「二萬五千頁の王国」を観てきました。多大なるエネルギーを感じさせる素晴らしい作品ばかりでした。
以下でアドルフ・ヴェルフリをご紹介しつつ感想を述べていこうと思います。

アウトサイダー・アート/アール・ブリュットとは

アール・ブリュット」はフランス語で「生(なま)の芸術」を表す言葉。それに対応する英語が「アウトサイダー・アート」。

「アール・ブリュット」は精神障害者受刑者の作品を対象としていたが、英訳されて広まる内に「正式な美術教育を受けていない者が製作した作品」を含むようになった。

アドルフ・ヴェルフリとは

1864年(0歳)スイスのベルン近郊の貧しい家に生まれる。
1873年(9歳)母が亡くなる。
1875年(11歳)父が亡くなる。
1881年(17歳)農場で働く。隣家の娘と恋に落ちるが、身分の違いから娘の両親に交際を反対される。
1888年(24歳)19歳の女性(売春婦?)と婚約するも、女性の母親に反対されて婚約破棄に。その後21歳年上の未亡人に好意を寄せるも、未亡人がアメリカに移住してしまいこの恋も叶わず。
1890年(26歳)14歳の少女に性的暴行未遂を犯す。その数ヵ月後に7歳の少女に性的暴行未遂を犯す。2年服役する。
1895年(31歳)3歳半の女児に性的虐待未遂を犯す。統合失調症と診断され、精神病院に収容される。
1899年(35歳)絵を描き始める。
1930年(66歳)精神病院で死亡。30年弱の間に膨大な作品(絵や曲など)を残す。

不幸な生い立ち、恋愛がいずれもうまくいかず……という点には同情します。
しかしだからといって幼女に手を出してはいけません
45歳の未亡人⇒14歳⇒7歳⇒3歳半 って……振り幅デカすぎでしょ!

31歳でアドルフ・ヴェルフリが野に放たれなかったのは本人にとっても周囲にとってもよかったのではないでしょうか。
精神病院に入っていなかったら、もしかしたら絵を描くこともなく、その才能を世に認められることもなかったかもしれないので……(犯罪を犯す前に精神病院に収容されていたら被害者が出なかったのでもっとよかったのでしょうが)。

アドルフ・ヴェルフリの絵には見る者を圧倒するエネルギーが満ち溢れていました。旺盛すぎる性欲が芸術に昇華したのかもしれませんね。

展示「二萬五千頁の王国」

アドルフ・ヴェルフリ 二萬五千頁の王国|東京ステーションギャラリー
アドルフ・ヴェルフリ 二萬五千頁の王国|東京ステーションギャラリー

現在ではアウトサイダー・アートの巨匠といわれているアドルフ・ヴェルフリですが、日本での大規模な個展はこれが初めてなのだとか。

展示は6区画に分かれていました。

初期作品

初期の作品は白黒でした。使用画材は鉛筆青鉛筆新聞用紙のみ。
医師が「道具を使わずに直線やカーブを描く技術がある」と感心していたようですが、これには私も同感です。
狭い範囲内に何本もの平行した曲線を描いている絵(「前掛けをした神の天使」)があって、これは道具がないとなかなか難しいと思うのですが、消したあとがほとんど見られませんでした。

ヴェルフリ独特の装飾的な模様などは既に描かれているものの、白黒だからなのか、少し陰鬱な雰囲気がありました(これはこれで私は好きです)。

揺りかごから墓場まで

44歳ごろから、物語の要素を持つ作品を製作し始めたのだそうです。
その第1作が『揺りかごから墓場まで』。自らの不幸な生い立ちを冒険記にしたてあげた作品です。

初期の作品と違ってカラフルな絵が多かったです。色つけには色鉛筆を使っていました。
植物を拡大表示したかのような構図、所々に現れるニッコリしたりムッツリしたりしているかわいらしい顔(恐らく自画像)、隙間を恐れるかのように並べられる独特の規則的な模様、音符、文字……。
ポップな曼荼羅」という言葉が思い浮かびました。

アドルフ・ヴェルフリ「二萬五千頁の王国」

特にこのポスターに使われている「機械工にして板金工=職人のアルブレヒト・キントラーの殺害.家族の=父,強姦のせいで」という絵が印象的でした。
オペラ座の怪人のようなマスクをかぶった女性、女性と男性がはいているタイツ(何層かに分かれていて、それぞれ模様が違うのがオシャレ)、ムチムチした妙にエロティックな太もも、そして強烈なタイトル……!

また、

おはよう紳士、淑女のみなさん:?
私に、何を、お望みかな?
私は飼いならされてはおりませんぞ:
野生動物というわけでもありませんがね。
アドルフ・ヴェルフリ『揺りかごから墓場まで』

という文章が会場の壁に書いてあって(上の動画にも出てきます)、ドキリとさせられました。
品があるのに大胆不敵、『羊たちの沈黙R』に登場するレクター博士が口にしそうな台詞ではありませんか……!

地理と代数のノート

揺りかごから墓場まで』で過去にふんぎりをつけたヴェルフリは、48歳ごろから未来について考え始め、『地理と代数のノート』に着手します。
地球の全土を買い上げ、理想の王国を築くという野望を抱くようになり、52歳ごろからは自らを「聖アドルフ2世」と名乗っていたのだとか……!

可能な限り寛容で、賢く、物分りよく、公正に統治する
アドルフ・ヴェルフリ

とヴェルフリは語っていたそうです。素晴らしい君主ですね。私はこれを見た時、

より良く、より正しく生きようとする人々は精神病的であり、
坂口安吾『精神病覚え書

という坂口安吾の文章を思い出しました(ちなみに、その後には「そうでない人々は、精神病的ではないが、犯罪者的なのである。」という文章が続く)。

歌と舞曲の書

『地理と代数のノート』の後半からあった写真や挿絵のコラージュが目立ち始める。

日本の芸者さんの写真が使用されていたのが印象深かったです。

葬送行進曲

初期の頃の装飾的な模様がほとんどといっていいほど影を潜め、写真のコラージュと文字の作品ばかりになる。その大半を文字が占めている(「キャンベル・トマト・スープ」など)。
自身へのレクイエムであり、未完。

ブロート・クンスト

日々の糧のための作品」とのことで、これは物語ではなく単一のシート(画用紙)に描かれています。ファンや精神病院の職員に売っていたようです。

「日本=南の=ハル[響き],聖アドルフ=リング」と、「日本=塔」と、「日本」がタイトルに含まれている絵が2つありました。芸者さんの写真を使用していた作品もあったし、日本に興味を抱いていたのでしょうかね。

また、これまでにもちょくちょくアクセントとして出てきていた八芒星がメインに描かれた絵があって(「神=父なる=巨大な=いなずま」)、こまごまとした模様が画面全体を占める絵とはまた違った迫力を感じました。

アドルフ・ヴェルフリ「二萬五千頁の王国」動画

上の動画で展覧会の様子を少し観ることができます。

全体的な感想

「ゼンタングル」というアートがありますが、アドルフ・ヴェルフリはもしかしたらその先駆者だったのかもしれません。単純な模様をコリコリ描いていると、トランス状態とでもいうのか、なんだか変な脳汁が出ているような感じがする時があるのですが、ヴェルフリも脳汁をドバドバ迸らせて描いていたのではないかという気がしました。

しかし年齢が上がるにつれ写真や文字が画面を占める割合が多くなり、装飾的な模様があまり見られなくなっていったのが興味深かったです。性欲の減退に呼応するように画面がサッパリしていったのだろうか……(適当な憶測)?

絵を描くことによって統合失調症が改善したかというと、それはなかったようです。会場の年表に書いてあったのですが、55歳ごろのヴェルフリの日常は、朝5時ごろに起きて2時間ほど幻聴による何者かと会話、絵を描いたりラッパを吹いたりして、夜はたびたび幻覚として現れるリーゼという女性にプリプリ怒っていたそうです。
こう書くとなんだかちょっと楽しそうな日常ですが……ご本人はどうだったんでしょうかね。別に楽しくはないよ、これが普通だよ、という感じだったのでしょうか。


アドルフ・ヴェルフリ「二萬五千頁の王国」は東京ステーションギャラリーで2017年6月18日(日)まで開催されています。
ご興味がある方は是非どうぞ!

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