『ブッダのことば スッタニパータ』という本を読みました。
ブッダの教えが書いてある本なのですが、その中でいくつか反出生主義的な言葉があり、興味をひかれたので備忘録としてまとめておこうと思います。
人生はつらいことの方が多いので、生まれないに越したことはないという考え方。
詳しくは以下の記事をご覧ください。
憂いがないこと > 喜び
悪魔パーピマンがいった、
「子のある者は子について喜び、また牛のある者は牛について喜ぶ。人間の執著 するもとのものは喜びである。執著するもとのもののない人は、実に喜ぶことがない。」師は答えた、
「子のある者は子について憂い、また牛のある者は牛について憂う。実に人間の憂いは執著するもとのものである。執著するもとのもののない人は、憂うることがない。」
『ブッダのことば スッタニパータ』
「師」=ブッダです。
悪魔は喜びに焦点を置いて語り、ブッダは憂いに焦点を置いて語っています。
ブッダは「喜びなど要らぬ……それより私は憂いがない方を選ぶ」といっている訳ですね。子供の不幸を避けるために出生を控える反出生主義に通ずるものがある気がします。
現代日本の正統派少年漫画などでは、ダークサイドに堕ちた悪役が「憂いがないこと」をよしとし、主人公がそれに異を唱えて「喜び至上主義」とでもいう論をぶちかましそうなものですが、面白いことに、ブッダの教えは悪役寄りなのです(そして悪魔が主人公寄り……)。
執著(しゅうじゃく)という言葉が出てきますが、ブッダの教えではとにかくこの執著を捨てることが大事とされています。
執著とは、
事物に固執し、とらわれること。
オンライン版 仏教辞典(引用先消滅)
とのことで、現代語の「執着」とほぼ同じと考えてよさそうです。
ブッダは、
子女や財産(特に牛)のあるのを喜ぶのは、悪魔のことばである
『ブッダのことば スッタニパータ』
と考えていたのだとか(註より)。確かに子供がいたり財産があったりしたら楽しいことも多いでしょうが、その分余計な気苦労も多そうです。
子を欲するなかれ
あらゆる生きものに対して暴力を加えることなく、あらゆる生きもののいずれをも悩ますことなく、また子を欲するなかれ。況んや朋友をや。犀の角のようにただ独り歩め。
『ブッダのことば スッタニパータ』
なぜ「子を欲するなかれ」なのか、その理由らしきものはこの文の少し後に書いてあって、
- 交わりをしたならば愛情が生ずる。愛情から苦しみや禍いが起こる。
- 子や妻に対する愛著(あいじゃく)は、枝の広く茂った竹が互いに相絡むようなものである。
からだそうです。
愛著というのも上に出てきた執著と同じような意味です。執著や愛著がわざわいのもとになる、とブッダは考えていたようです。
よく「守るものがあると強くなる」などといいますが、ブッダはこれを否定しているように私には思えました。「守るもの=ウィークポイントになる」といっているような(この辺も漫画の悪役っぽい……)。
ブッダの教えでは、とにかくいい方にも悪い方にも心を動かしすぎず、なるべくニュートラルな状態でいることがよしとされています。
自分の苦を増やさないために子を欲するなかれ――というニュアンスなので、子供のためを思って生まない反出生主義というよりは、子供がいない方が自分の人生を謳歌できるという考え方のチャイルドフリー寄りの言葉といえるかもしれません。
ただ、ブッダの教えでは解脱(輪廻転生から抜け出し二度と生まれないこと)がいいこととされています(というかそれが目標)ので、反出生主義は大前提となっているといっても過言ではなさそうです。
ちなみにブッダは「自身の出家の妨げになる」という理由から息子に「ラーフラ」(障害や束縛の意)と名付け、後に妻子を捨てて出家しています。
二度と生まれない = 聖者
かれは明知を具えている。またかれの行いは清らかである。かれのすべての煩悩の汚れは消滅している。かれはもはや再び世に生まれるということがない。
『ブッダのことば スッタニパータ』
「かれ」=ブッダのことです。
生まれることは尽きた。清らかな行いはすでに完成した。なすべきことをなしおえた。もはや再びこのような生存を受けることはない。
『ブッダのことば スッタニパータ』
悟りを開いたバーラドヴァージャさんとサビヤ長老の言葉。かれらは「聖者」になったとのこと。
ブッダの教えでは生まれないことがいいこととされている訳です。またもや少年漫画の悪役が口にしそうな言葉です。
生存を受けることがない=輪廻からの離脱、ブッダの教えの最終的な目標は、
- 生きながらにして苦のない境地(ニルヴァーナ)に至ること
- 輪廻からの解脱
この2つであったようです。
あとがき
少年漫画の主人公とブッダの教え、どちらが正しいのかは私には分かりません。というか「正しさ」なんていうものは、時代や場所によってきっとコロコロ変わるものなのでしょう。
とはいえ「生まれないこと=いいこと」は私には真理の内のひとつに思えます。
生まれないのはいいこと、ただ、生まれたら生まれたでいいこともある。なにごとも一長一短、といった感じでしょうか。
人間は醜い、されど人生は美しい
ロートレック
私には、人生は楽しいものだとは思えませんけれど、生きていることは、矢っ張り好いことだと思いますのよ。
野溝七生子『山梔』
といった言葉が思い出されました。
なるべくなら生まれないのが一番だけど、運悪く生まれてしまった私たちはいかに生きるべきか――ということをブッダは説いてくれています。
ただ、生きていると煩悩を捨てるのはやはり難しい……私は寝るのも美味しいものを食べるのも大好きだし……それと現代日本の大半の人には、輪廻転生という考え方はピンとこない気がします。
しかしブッダに限らず、誰かのいうことを全て鵜呑みにするのではなく、いろんな本を読んだり経験を積んだりして、その中で自分にしっくりくる考え方などをいいとこどりして、自分なりの哲学を築きあげていく――もしかしたらそれが人生というものなのかもしれない、なんてことを考えました。というとなんだか大げさですが、生きづらさを感じている人は、こういった自分なりの哲学のようなものをこしらえると少しは生きやすくなるかもしれません。