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人付き合いが苦手な自分に罪悪感を持っていた(今でもまだ少し持っているかもしれない)

time 更新日:  time 公開日:2017/02/08

昨日、下記の記事を読みました。

人付き合い苦手なやつだけがわかる「あるある」50選 | オモコロ あたまゆるゆるインターネット
人付き合い苦手なやつだけがわかる「あるある」50選 | オモコロ あたまゆるゆるインターネット

これを読んで特に気になった4点について思ったことと、自分が何故人付き合いが苦手なことに悩むようになったのかを考えてみたので、それを以下に書いてみます。

「人が苦手なんじゃなくて、人“付き合い”が苦手」について

見知らぬ人に話しかけるのは全然平気」……これ、よく分かります。
もう二度と会わない人だと思うと、私はその人と対峙している数分間(もしくは数時間)、全力でいい人ぶります

相手の方も、つっけんどんにされるよりは優しくされたほうが気持ちがいいだろうし、私は私で、「その人の中で私の印象は永遠に『いい人』なのだ(その後その人が私のことを思い出すか思い出さないかといえば、そうでない可能性のほうが高いのだが、それは大した問題ではない)」と思うと気持ちがいいからです。
万が一何かの弾みで嫌われたとしても、記事の作者の方も仰っているように、「まァ、二度と会うことはないから……」と、恐らくそれほど気に病まずにすむことでしょう。

つまり外面を短期的に取り繕うことはできるのですが、長期的な付き合いをするとなるとボロが出てしまう……それがイヤなのです。
性格が悪かったり性根が腐っていたりするのが徐々にバレていって、相手に幻滅されるのが怖いのだと思います(あくまで私の場合ですが)。

坂口安吾も「魔の退屈」という小説で似たようなことを述べていて、

私は全然無意味な人にオゴってやったり、金をやったり、品物をやったりする。そういう気持ちになったとき、その気持ちを満足させているだけのもので、底でこれぐらい突き放していることはないのである。これは全く悪魔の退屈なので、あの青年に宿をかし得なかったごとき、私は元来、時間的にやや永続する関係には耐えられないという意味も根強いのであった。
坂口安吾「魔の退屈

これを数年前に読んだ際には、いたく共感したものです(さすがに見知らぬ人におごったりお金をあげたりまではしませんが……)。

「人に踏み込めない」について

昨日ツイッターでつぶやいたのですが、

こんな感じです。

自分に自信がないので、あまり自分のことを話したくないという気持ちがあります。
なので、よくいう「自分がやられたらいやなことは他人にもしない」を心がけると、相手に質問できることがかなり限られてしまいます。
するとどうしても突っ込んだ話題にはなりにくいので、人と心を深く通わすまでに至らないのです(これが「ヤマアラシのジレンマ」?)。

という訳で、私は自分のことばかり一方的に話してくれる人といるのが割と楽だったりします。するとつられて自分のこともちょこっと話せる場合があります。

「アットホームな職場」について

求人広告に「アットホームな職場」と書いてあったら一瞬で候補から外すという話。これについても昨日ツイッターでつぶやきました。

ギスギスした職場はもっての外ですが、かといって誰もが職場にアットホームな雰囲気を求めるかというと、そんなことはないと思うんですよね……。

私の理想の職場は、

  • 仕事の連絡や報告は朗らかに(しかし馴れ馴れしいという訳ではない)
  • 雑談をしない(仕事に関係するちょっとした愚痴を言い合うくらいならアリ)
  • 残業なし
  • 忘年会、新年会、その他の飲み会もなし

という感じです。

アットホーム」などといって変に馴れ合うと、残業だとか余計な仕事だとかを断りづらくなる気がします。同じ職場の人間といえども、取引先の人と同じくらいの距離感が私にはちょうどよさそうです。

「遠くに知り合いの姿が見えたら……」について

遠くからちょっとした知り合いが近付いてくるのを発見したら、さりげなく避けたり気付かなかったフリをしたりする……というのも分かります。学生時代はそういった感じでした。その人が決して嫌いな訳ではないというのにもまた共感します。なんともいえない気まずさがあるんですよね……。

あと私の場合、そのほんの数分のためにテンションを上げたり笑顔を作ったりするのが面倒というのがあるかも。ちょっとの間笑顔で話して、その後すぐにスッと能面のような表情に切り替わるその瞬間の自分がなんだかイヤというか……。それならずっとニュートラルな状態のままでいたいというか……。

それとクラス替えの時もちょっと似たような気持ちになった気がします。中1の時同じクラスでちょっと話したことがあった子と中2でクラスがわかれて、廊下などで少し離れた所にその子を見つけても気付かなかったフリをしたり……。で、中3でまた同じクラスになっちゃったりして、「あの時のこと、あの子は気付いてなかったよね……」とちょっとモヤモヤしたり……。

現在は地元から離れた土地に住んでいるので、ノビノビと(能面のような顔で)道を歩くことができます。

ちょっと暗い話……「人付き合いは大事」といわれて育った私

記事に書いてあったのですが、「子供の頃は明るくて友達も多かった」……私も正にこれでした。
何も考えずに人と仲良くなることができた年齢であったのと、母親に「人付き合いは大事」といわれて育ったからだと思います。幼い頃は親のいうことを疑うなんてことはしないものでしょう。また、親がそうであってほしいという理想の子供を無意識に演じていたというのもあるかもしれません。

小学校高学年あたりから、なんとなく人付き合いが億劫に感じられてきて、性格もだんだん内向的になっていきました。それが本来の自分であったのですが、それとなく理想を押し付けてくる母親に反発しつつ、どうして自分はこうなってしまったんだろう、どうして母親の理想どおりの明るく社交的な人間に成長できなかったのだろう……と、心の底で母親に対し罪悪感を持っていました。
今はもういい大人になって、母親と離れて暮らし、あの頃よりはだいぶ生きやすくなりましたが、それでもまだ少し生きづらさを抱えています。

うちには重大な問題があって、兄が引きこもりです。兄が引きこもりになったのは私が小学校高学年の頃です。
私が人付き合いに関して疑問を持ち始めたのは、もともとの気質がその年齢になってはっきり表れてきたからだと思いますが、兄の引きこもりが始まったこともきっかけのひとつであったのかもしれません。
そして父親は仕事、母親は「人付き合いが大事」といって外に出かけてばかりで、一番どうにかしなければならない家族の問題から目を背けていました。

母親は確かに友人知人が多いです。そして外面がいいので、恐らく母親は友人知人たちに「いい人」だと思われているはずです。
しかし神経をすり減らして人付き合いをして、挙げ句の果てに病気になって(もちろん人付き合いだけが原因ではないと思いますが、原因のひとつではあるはず)、入院して手術をして……。
そういう時に面倒を見るのは今の所やはり家族になります。いくら親しいからといって、そういう時に友達が何か手を貸してくれるかといえば、そんなことはありません。せいぜいたまにお見舞いにくるとか励ますとか、それくらいのものでしょう。

母親は「人付き合いを大事にしてきたからこそ、こういう時に励ましてもらえるのだ」というようなことを得意気にいっていましたが、私はそれを聞いて「だからなんなんだ」くらいにしか思いませんでした。
母親は、「多くの他人に必要とされている自分」が、子供にとっても尊敬の対象憧れの存在になると思っている節があるのですが、そんなことはないです。それよりももっと家族のことを優先してほしかった。まず第一に家族の問題に向き合ってほしかった。
私はこのブログや別のブログに、何度か「親は全力で子供に無償の愛情を注ぐべきだ」というようなことを書いていますが、こういう家庭環境だったのでそういった主張を持つようになったのだと思います。

しかしいまだに母親がいっていた「人付き合いが大事」は、やはり正しいのかも……と思ってしまうこともあります。
アインシュタインの言葉に、

常識とは、18歳までに身に付けた偏見のコレクションである。
アインシュタイン

というものがありますが、「18歳までに身に付けた偏見」って、親に植え付けられたものが大半ではないかと思うのです。そしてその何年もかけて刷り込まれた常識という名の偏見を、大人になってから振り払うのはなかなか難しいものがあります。
私がいまだに少し生きづらいのは、この偏見の呪縛から完全には逃れられていないからだろうと思います。


……と、最後がちょっと暗い話になってしまいまして恐縮です。
こういうことを冒頭の記事を書いた方のように面白おかしく書くことができればいいのですが、私はまだそこまでは割り切れていないようで……。

しかし今では昔ほどは深刻な心境ではなくて、

くらいに思えるようになりました。

こうしなきゃいけないという義務感から行動するのではなく、みんながそれぞれ自由に振る舞える……人付き合いしたい人(時)はすればいいし、したくない人(時)はしなくてもいい、そういったことが当たり前の世の中になればいいなと思います。