「生まれなければよかった」「人間は地球の癌だ」など、暗いことばかりぼやいていた思想家、エミール・シオランの個人的に好きな名言(と私が感じる言葉)を集めてみました。
告白と呪詛
私がこしらえようとしなかった子供たち。もし彼らが、私のおかげで、どんな幸福を手に入れたか知ってくれたなら!
シオラン『告白と呪詛』
在 るべきか、在らざるべきか。
……どちらもごめんだ。
シオラン『告白と呪詛』
この世界に迷いこんできた。――おそらく、どんな場所でも、私は迷いこんだ人間なのだろうが。
シオラン『告白と呪詛』
カイエ
両親とは、いずれも無責任な者か人殺しだ。
シオラン『カイエ』
同情心があれば、私たちは「人の親」にはなれまい。「人の親」、私の知るもっともむごい言葉。
シオラン『カイエ』
私は生を嫌っているのでも、死を希っているのでもない。ただ生まれなければよかったのにと思っているだけだ。
シオラン『カイエ』
崩壊概論
私たちの屈従は、すべて、飢え死にするだけの決心ができないことから由来する。
シオラン『崩壊概論』
社会とは番人のいない牢獄なのだ、――ただしそこから逃げ出せば、破滅が待ち構えている。
シオラン『崩壊概論』
四つ裂きの刑
生きるとは追いつめられることだ。
シオラン『四つ裂きの刑』
死とはなんたる侮辱! だしぬけに
もの に化するとは……
シオラン『四つ裂きの刑』
老いとは、要するに生きたことに対する懲罰にほかならぬ。
シオラン『四つ裂きの刑』
私たちに生きることを許さぬ真理だけが真理の名に値する。
シオラン『四つ裂きの刑』
苦しんだことのない者は
存在 ではない。せいぜいただの個物だ。
シオラン『四つ裂きの刑』
街に出て人間どもを目にすると、まっさきに思いつくのは
皆殺し という言葉だ。
シオラン『四つ裂きの刑』
怠惰は冗漫さから私たちを救い、したがってまた、生産につきものの恥知らずの行為からも私たちを救ってくれる。
シオラン『四つ裂きの刑』
一個の役立たずの例外、気にかけてくれる者とていないひとりのモデル――われながら一段ときわだった人間でありたいと思うなら、希求すべきはこういう地位だ。
シオラン『四つ裂きの刑』
私は世界に対して戦っているのではない。世界よりはもっと大きな力、つまり世界に対する私自身の
疲労 と戦っているのだ。
シオラン『四つ裂きの刑』
自分が正しいかどうかどうしたら知ることができるか。その目安はしごく簡単なものだ。すなわち、他人どもが君を避けて寄りつかないならば、彼らよりも君の方がずっと本質的なものの近くにいることはまず疑いない。
シオラン『四つ裂きの刑』
生誕の災厄
人間とは地球の癌だ。
シオラン『生誕の災厄』
朝から晩まで、過去を製造しつづけるとは!
シオラン『生誕の災厄』
生れたという屈辱を、いまだに消化しかねている。
シオラン『生誕の災厄』
一切を渇望する心を抱いて出生したのは、怖ろしいことである。
シオラン『生誕の災厄』
肝心なことはひとつしかない。敗者たることを学ぶ――これだけだ。
シオラン『生誕の災厄』
出生しないということは、議論の余地なく、ありうべき最善の様式だ。
シオラン『生誕の災厄』
生れないこと、それを考えただけで、なんという幸福、なんという自由、なんという広やかな空間に恵まれることか!
シオラン『生誕の災厄』
自分が少なくとも永遠の存在ではないと知っていながら、なぜ人間は生きてゆけるのだろう。私にはどうしてもこれが理解できない。
シオラン『生誕の災厄』
一日いっぱい、生誕という事実の不都合を思いめぐらしていると、人間の計画し実行することが、どれもこれも、つまらぬ、無益なものに見えてくる。
シオラン『生誕の災厄』
若い人たちに教えてやるべきことはただの一事、生に期待すべきものは何ひとつとしてない、少々譲ってもほとんど何ひとつない、ということに尽きる。
シオラン『生誕の災厄』
私が自分の出自、血統を偽ろうとしないのは、結局のところ、何者かであるようなふりをするより、まったく何者でもないほうがましだろうからである。
シオラン『生誕の災厄』
自分の一生がなんの実も結ばなかったと嘆く者がいたら、生それ自体が、もっと悪いとはいわぬまでも、似たような事情にあることを思い出させてやるに限る。
シオラン『生誕の災厄』
死によって人間は、存在を開始する以前の状態に戻るにすぎない、というのがもし真実なら、純粋な可能性を固守して、そこから身じろぎもしないほうがよかったのではないか?
シオラン『生誕の災厄』
かつて私は、死者を前にすると、「生れるということがこの男にとってなんの役に立ったか?」と自問したものだった。いまの私は、同じ質問を、いかなる生者を前にしてもおのが心に発している。
シオラン『生誕の災厄』
はるかな昔から私は、この世が自分むきに出来ていないのを、どうしてもこの世に慣れることができないのを自覚してきた。私が多少なりとも誇りを持つことができたのは、正にそのゆえだし、さらに言えば、そのゆえでしかなかった。
シオラン『生誕の災厄』
「この世が自分むきに出来ていない」という言い回しが、「自分は悪くない、この世が悪いんだ」というニュアンスを感じさせて素敵です。
高貴な所業はつねに疑しいものである。果たしたあとで、人はかならず悔恨に責められる。すべて贋物であり、お芝居であり、ポーズであるにすぎない。下劣な所業を悔いるのと大差がないというのは、本当の話なのだ。
シオラン『生誕の災厄』
こういう文章だけ読むと、さぞや気難しいお人だったのだろうな……と思えますが、意外にも人前では割とおしゃべりで明るかったらしいです。ただまァ腹の底ではこういったことを考えている訳ですから、きっと一筋縄ではいかないオジサマだったのでしょう。もしシオランが生きていたとしたら、会ってみたいような……しかしなんだか全てを見透かされそうで怖いような気もします。