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人間嫌いだった作家・江戸川乱歩のネガティブな名言集

time 更新日:  time 公開日:2016/09/30

何ごとにも「ポジティブ」がもてはやされる現代社会。しかし、「そんなに前向きになれないよ……!」という時が、きっと誰にでもあるはず。
そんな時、人間嫌いだった作家・江戸川乱歩の暗い名言を読めば、もしかして逆療法で元気になれるかも……!?(ただしもっと落ち込んでしまう可能性もありますのでお気をつけください)

江戸川乱歩とは

大正〜昭和時代にかけて活躍した推理・怪奇幻想小説家。
人間椅子』『屋根裏の散歩者』など、犯罪者の異常心理や、奇妙・猟奇的な事件を書くのを得意としていた。その一方で『押絵と旅する男』のように幻想的で美しい小説も残している。
「江戸川乱歩」はペンネーム(アメリカの作家エドガー・アラン・ポーをもじってつけた)。

うつし世はゆめ よるの夢こそまこと」という言葉をサインと共に色紙に書いたという。

そんな乱歩は、幼い頃からある程度の年齢に達するまで、人間嫌いのコミュ障だったようです。
以下で乱歩のネガティブな名言をご覧ください。

幼い頃からネガティブ

学校は地獄であった。(中略)そのために、私は社会生活を嫌悪し、独りぼっちで物を考える癖が、ますます嵩じて行った。
江戸川乱歩『私の履歴書』

地獄……! 学校がよっぽど嫌いだったのでしょう……。

会話を好まず、独りで物を考える、よくいえば思索癖、悪くいえば妄想癖が、幼年時代からあり、大人になっても、それがなおらなかった。
江戸川乱歩『私の履歴書』

二、三歳のころは、ひどくおしゃべりで、物真似などが上手だったそうだが、物心つくにしたがって、あまりしゃべらなくなり、独りで何か空想して、夕方など町を歩きながら、声に出してその空想を独白するくせがあった。
江戸川乱歩『私の履歴書』

中学一年生のころだったと思う。憂鬱症みたいな病気に罹って、二階の一間にとじこもっていた。(中略)暗い中で天体のことなどを考えていた。
江戸川乱歩『レンズ嗜好症』

病床ほど孤独の楽しみを教えるものはない。氷嚢、体温計、苦いけれど甘い水薬、熱病の夢、即興詩、石盤石筆と、紙と筆と、そして絵と、絵文字と、この豊富な魅力が彼を病床に、引いては病気そのものに惹きつけた。強いて病気になろうとする気持さえ芽生えてきた。
江戸川乱歩『彼』

自伝的小説の一文。

ナイーブな少年の姿が浮かび上がってきます。

成長してもネガティブ

恋愛ばかりでなく、すべての物の考え方が誰とも一致しなかった。
江戸川乱歩『我が青春記』

しかし孤独に徹する勇気もなく、犯罪者にもなれず、自殺するほどの強い情熱もなく、結局偽善的(仮面的)に世間と交わって行くほかはなかった。
江戸川乱歩『我が青春記』

「なぜ神は人間を作ったか」というレジスタンスの方が、戦争や平和や左翼よりも百倍も根本的で、百倍も強烈だ。
江戸川乱歩『探偵小説四十年 生きるとは妥協すること』

たとえ、どんなすばらしいものにでも二度とこの世に生れ替って来るのはごめんです。
江戸川乱歩『探偵小説四十年 身辺多事の年』

雑誌『新青年』の作家アンケート、「あなたが生れ替ったら(どうなさいます)」という問いに対する答え。

体は成長しても、中身はナイーブな少年のまま……否、ますますアンニュイになっていったように感じられます。

小説についても……

小説を書いている時もネガティブなことには変わりなく……。

小説というものが、政治論文のように積極的に人生をよくするためにのみ書かれなければならないとしたら、彼は多分「現実」とともに「小説」をも厭わしいものに思ったに違いない。
江戸川乱歩『幻影の城主』

“彼”とは乱歩自身のことを指しています。

拙いと自信している小説など書くよりは、どんな不自由をしても、進んで月給取りに転業すべきであったのだろう。ところが、この月給取りが又、私は(良心的にいって)ひどく性に合わないのである。
江戸川乱歩『探偵小説四十年 生きるとは妥協すること』

そこで、自分ではつまらないと思っても、編集者がやいのやいのといってくれるあいだ、原稿稼ぎをしてやろう。売文業を大いにやろうと考えるに至ったのである。
江戸川乱歩『探偵小説四十年 生きるとは妥協すること』

結局、妥協したのである。もともと生きるとは妥協することである。
江戸川乱歩『探偵小説四十年 生きるとは妥協すること』

人気作家になっても、どうしても自作に自信が持てなかったようです。天狗になるよりはいいのかもしれませんが……乱歩はちょっと謙虚すぎるのかも……。

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初期の傑作の多くに、乱歩自身が投影されたかのような厭世的な人物が登場し、ストーリーと相まって妖しい魅力を放っています。

自作を恥じるあまり何度か休筆をしたことも

愚作「一寸法師」に嫌悪を感じ、当分筆を絶つことを決意。
江戸川乱歩『探偵小説四十年 放浪の年』

『一寸法師』の連載は1926(大正15)年12月~1927(昭和2)年2月。
1927(昭和2)年3月に1回目の休筆宣言。乱歩33歳の年。

世間の評判は上々だったにも拘らず、あまりに通俗的な、探偵小説ならざるものを書いてしまったと、自分で自分を許せなかったようです。

十四ヶ月休筆後、はじめて中篇「陰獣」を執筆
江戸川乱歩『探偵小説四十年 「陰獣」を書く』

しかし翌年、華々しく復帰。『陰獣』は乱歩の代表作のひとつです。

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血みどろで、陰険で、邪悪で、一読肌に粟を生じるていの、無気味ないまわしい」小説ばかり書いている人嫌いの作家……つまり乱歩自身を思わせる「大江春泥」という謎の作家が登場します。

二度目の休筆は、昭和七年の三月から一年八ヶ月
江戸川乱歩『私の履歴書』

乱歩38~39歳の年。

平凡社の全集の印税で、当分生活には困らないので、自己嫌悪にたえぬ小説など一刻も早くやめたいという我儘からであった。
江戸川乱歩『探偵小説四十年 二回目の休筆宣言』

三度目は昭和十年五月から八ヶ月
江戸川乱歩『私の履歴書』

乱歩41~42歳の年。

四度目は戦時の情報局の方針で探偵小説が書けなくなり、終戦後も十年近く書かなかった
江戸川乱歩『私の履歴書』

大正十四年に専業作家になってから現在まで満三十一年余だが、そのうち十七年休筆していたのだから、正味十四年あまりしか働いていない勘定になる。書いているより休んでいる方が多かったのである。
江戸川乱歩『私の履歴書』

休筆時は旅に出ることが多かったようです。

連載を中絶してしまったことも

昨年筆を断ちてより一年七ヶ月ぶりに、「新青年」十一月号より長篇「悪霊」を書きはじめたるも、翌九年一月号までに三回執筆せしのみにて中絶す。
江戸川乱歩『探偵小説四十年 精神分析研究会』

1933(昭和8)年~1934(昭和9)年にかけてのこと。2回目の休筆宣言の後のことです。

それまで書いた部分を読み返して見ると、われながら少しも面白く感じられないので、私の癖の熱病のような劣等感におそわれ、どうしても書きつづけられなくなってしまったのである。
江戸川乱歩『探偵小説四十年 精神分析研究会』

1度目の休筆宣言後は、『陰獣』という傑作を書いていただけに、残念……。

これがもとで、雑誌『新青年』の編集長を務めていたこともある横溝正史とちょっと不仲に。しかし後に和解したとのこと。

『一九三四年冬―乱歩』

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著者:久世光彦。

『悪霊』を休筆するかしないか……といった状況の乱歩をモデルにした小説。

執筆に行き詰まった乱歩がホテルに身を隠す……というあらすじなのですが、この「ホテルに泊まっていた」という部分は実際の話です。

麻布にあった「張ホテル」という主に外国人が宿泊するホテルに滞在して、『悪霊』の続きを書こうとしていたのだとか。しかし結局何もしないで半月ほど過ごしたそうです。

「張ホテル」は高級ホテルでなく、乱歩いわく「翻訳小説などで想像していた十九世紀末あたりの西洋の安宿」のようなホテルだったとのこと。そこに郷愁のようなものを感じて滞在を決めたそうです。

しかし戦時中から一転してポジティブに

防空群長の方は、昼間は私のほかにやるものがないというので、
引き受けさせられてしまった。
江戸川乱歩『探偵小説四十年 末端の協力』

1941(昭和16年)のこと。乱歩47歳。
戦争のために近所づきあいを余儀なくされたようです。
最初はいやいやだったようですが、徐々にテンションが上がったようで……。

子供ごころにかえって、大いに活発に防空訓練をやっているのが、町会長(中略)の目にとまったらしい江戸川乱歩『探偵小説四十年 末端の協力』

町会役員となる江戸川乱歩『探偵小説四十年 末端の協力』

そして翌17年には……

町会副会長となる江戸川乱歩『探偵小説四十年 末端の協力』

町内会で着々と出世しています……!

昔の厭人病者が好人病者に変った江戸川乱歩『好人病』

戦前の人嫌いが、戦後人好きになり、いろいろな会合に進んで出るようになったのは、一つは隣組や町会で人に慣れたのと、もう一つは戦争中多少酒が飲めるようになったせいである。江戸川乱歩『探偵小説四十年 追記』

スッカリ、現代でいうところの「リア充」に……。

江戸川乱歩の代表作とネガティブの関係性

1923(大正12)年
29歳
『二銭銅貨』でデビュー
1925(大正14)年
31歳
『心理試験』『D坂の殺人事件』『屋根裏の散歩者』『人間椅子』
1926(大正15)年
32歳
『火星の運河』『鏡地獄』『パノラマ島奇談』『人でなしの恋』
1927(昭和2)年3月 ~
1928(昭和3)年6月まで
最初の休筆
1928(昭和3)年
34歳
『陰獣』
1929(昭和4)年
35歳
『芋虫』『孤島の鬼』『押絵と旅する男』『蟲』
1931(昭和6)年
37歳
『盲獣』
1932(昭和7)年3月 ~
1933(昭和8)年9月まで
2度目の休筆
1933(昭和8)年
39歳
『悪霊』を書きはじめるも翌年中絶

その後は、評論や子供向けの作品が中心になっていきました。
大人向けの代表作は、デビューから10年以内……2度目の休筆以前に書かれていたことになります。まだまだネガティブ全盛であった頃のことです。

そう考えると、もしかしてネガティブが創作の源といえたりして……!?
リア充か、それとも創作力か……どちらをとるか、悩ましい問題です(?)。

江戸川乱歩に興味がわいた方へ

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江戸川乱歩作品を未読で、ご興味がわいた方は、まずは傑作選を読んでみてはいかがでしょうか。

  • 屋根裏の散歩者』――この世に退屈している男性が、下宿の屋根裏に上がれることを発見して……
  • 人間椅子』――ある日女流作家のもとに、気味の悪い手紙が届き……
  • 芋虫』――戦争から帰ってきた夫は、見るも無残な姿に変貌していて……

他、処女作『二銭銅貨』や、『二癈人』『D坂の殺人事件』『心理試験』『赤い部屋』『鏡地獄』が収録されています。

これにハマッたら『押絵と旅する男R』や『R』、『人でなしの恋R』『踊る一寸法師R』などもオススメです。

初期の短編小説は、推理に重点をおいたものもありますが、異常心理や変態性欲をテーマにした小説が多く、それらが乱歩の代表作になっています。

江戸川乱歩 青空文庫

この記事の参考文献

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