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「私は枯れかかった貧乏な苔です」――作家・尾崎翠について

time 更新日:  time 公開日:2008/10/25

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尾崎翠(1896年 – 1971年)という作家が書いた『木犀』という短編小説の中に、以下の文章が出てきます。

お母さん、私のような娘をお持ちになったことはあなたの生涯中の駄作です。
尾崎翠『木犀』

その他にこのような文章もあります。

私が毎夜作る紙反古はお金になりません。私は枯れかかった貧乏な苔です。
尾崎翠『木犀』

ここだけ抜き出すとかなりの悲愴感が漂いますが、全体的にはそれ程哀しい雰囲気という訳でもないのです。しかしそれゆえに、上記の2つの文章は衝撃的でした。

尾崎翠『木犀』と、「このまま死ぬのならむごいものだねえ」という入院中の言葉について

『木犀』の話の筋をちょっとばらしてしまうと(知りたくない方は次の段落まで飛ばしてください)、主人公の「私」は、何処か牛に似ているN氏(10年ぶりくらいに会った学生時代の友人)にプロポーズされるのですが、住んでいる屋根裏から動きだす気が全くしなかったので断った、というものです。
それから喫茶店でお君ちゃんという人とチャップリンの話などをして、その後母親に電報を打つという段になって、先程の2つの文章が出てくるのです。
そこまで思い詰めている風ではなかったので、「私のような娘をお持ちになったことはあなたの生涯中の駄作です」という文章でハッとさせられました。そして「枯れかかった貧乏な苔」で駄目押しです。

尾崎翠の作家生活は10年ちょっとで、その後は故郷でひっそりと暮らしていたということを、著者プロフィールと解説を読んで知りました。それで上記のような文章にも納得できました。解説に下記の一文が書いていなかったら、きっとそのまま納得して終わっていたと思います。

病に倒れて入院中に、「このまま死ぬのならむごいものだねえ」と大粒の涙を流したという。
尾崎翠集成(上) 解説

尾崎翠のプロフィール欄に、「『第七官界彷徨』(尾崎翠の代表作)が再発見された後も執筆を固辞」と書いてありました。
ちょっと順を追って説明しますと、

学生~代用教員時代短歌が雑誌に掲載されたり、その後代用教員になってからも雑誌の投稿欄に小説が載ったりして、「投稿欄の才女」として注目される。
23歳ごろ大学入学のため上京。在学中に小説を発表した所大学にとがめられて中退。文学に専念する。
27歳ごろ頭痛薬ミグレニンを服用しだす。主に少女小説を書く。
35~36歳ごろ『第七官界彷徨』『歩行』『こおろぎ嬢』などを執筆する。解説では「閃光のような奇跡の二年間」とされている。ようやく少し注目されるようになったが、ミグレニンによる幻覚症状が激しくなり、失意の内に東京を去る(この直前に十歳ほど年下の脚本家と同居するのだが10日ほどしか続かなかったらしい)。
その後故郷の鳥取に帰郷し、少しの間(数ヶ月?)精神病院に入院する。その後は妹の子供たちなどの面倒を見て過ごす。
73歳ごろ『第七官界彷徨』がアンソロジー『黒いユーモア』に収録され再評価される。甥との書簡で「ケッサクだそうだが一向金にならない」とこぼしている。

      
――で、「『第七官界彷徨』が再発見された後も執筆を固辞」、そして1971年75歳の時、「このまま死ぬのならむごいものだねえ」と大粒の涙を流し、その後死去、となります(『尾崎翠集成(上)』の表紙見返しのプロフィールには「老人ホームで死去」とありますが、これは間違いのようです。高血圧症で入院し、肺炎を併発したらしいです……下記『尾崎翠 群ようこ著』参照)。

『尾崎翠集成(上)』の解説の「失意の内に東京を去り」という文章が頭に残っていたためか、私は、尾崎翠が東京での生活を恨みに思っていた、と勝手に想像していました。
それで再評価されても、何を今更、という感じで、執筆依頼などを断り続けたのかと。しかし死ぬ間際になってそれを後悔して、「このまま死ぬのならむごいものだねえ」という呟きを洩らしたのだろうか……。泣くくらいなら書けばよかったのにと、どうしても尾崎翠の晩年の心境が知りたくなりました。
それで尾崎翠についての本を読んでみました。

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この本は原文がたくさん引用されています。ので、私がまだ読んでいない少女小説や映画評なども少し読むことができました。そして全て旧かなで引用されているのが素晴らしいです。

読み終えて、尾崎翠が東京での生活を恨んでいた……というのはやはり私の勝手な想像に過ぎず、

  • 尾崎翠は晩年も東京に行きたがっていた
  • 何故だか東京でしか小説を書けないと思い込んでいた

というような感じだったらしいことがわかりました。
といっても本人が直接そう書いている訳ではないので、やっぱりこれも私の想像……というか、尾崎翠が友人に洩らしたという言葉などからの解釈なのですが、「東京での生活を恨んでいた」という想像よりは真実に近いものと思われます。
しかしどちらにしろ、「このまま死ぬのならむごいものだねえ」というのは哀しい言葉です。死ぬ時に悔いを残さぬよう生きたいものだなァと改めて考えさせられました。

『第七官界彷徨』について

尾崎翠の代表作である小説『第七官界彷徨』。はじめにこの題名を見た時、戦争か何かの話かと思ったのですが(「官」の字のせい?)、全く違って、

私はひとつ、人間の第七官にひびくような詩を書いてやりましょう。
尾崎翠『第七官界彷徨』

という野望を抱いている少女と、その少女が属する「変な家庭」についての話なのでした(初恋の話も出てきますが、本当にちょこっと。それもとても淡いものです)。

女性が書いた少女の話ということで、読む前には少し躊躇しました。レースひらひら風で愛だ恋だという話だったら好みでないからです。しかしこの硬派な感じの題名に惹かれて読む決心をしました。

少女に恋と泪はつきもので、この話にもやっぱり両方出てくる訳ですが、とても微笑ましい気持ちで読めました。しめっぽくなくて、さっぱりカラッとした雰囲気なのです。恋に恋する少女(こういってしまうととてつもなく陳腐ですが……)ってこんな感じだなァというキュンとした気持ちにさせられました。
また、泪の方はちょっと、いやだいぶ滑稽で、主人公の町子が、下の兄・二助の部屋を掃除していたら、彼の実験道具である試験管を引っくり返してしまって、黄色いこやしが足にはねかかったからなのでした。それを知った二助の台詞がまたトボケていて実にいいのです。ちょっと長いけれど引用してみます。

「この部屋にはたきを使っては、じつに困る。幸いこの試験管は、昨夜写真にうつしておいたから不幸中の幸いだ。(それから彼は私に背中をむけた姿勢で独語した)女の子はじつによく泣くものだ。女の子に泣かれると手もちぶさただ。なぐさめ方に困る。(それから彼はくるりと此方を向いて)この葉っぱを今晩おしたしに作ってみろ。きっとうまいはずだ」
尾崎翠『第七官界彷徨』

()書きが、ちょっと芝居がかっていてかわいいです。この台詞に限らず、『第七官界彷徨』自体が、全体的にちょっと演劇的な雰囲気がある気がします。尾崎翠は戯曲や映画の脚本を書いたりもしていたそうなので、それが関係しているのかもしれません。
ちなみに「おしたし」は打ち間違いではありません。「おひたし」でなくて「おしたし」。この古臭い語感もたまりません。

いい所を挙げたらきりがないのですが、個人的に一番ピンときた所。
町子は赤毛ちぢれ毛の持主である。上京の際に、おばあさんがちぢれ毛の特効品だというびなんかずらと桑の根をきざんだ薬をバスケットに詰めてくれる。おばあさんが「ああ、お前さんは根が無精な生れつきじゃ。とても毎朝は頭の癖なおしをしてくれぬじゃろ。身だしなみもしてくれぬじゃろ。都の娘子衆はハイカラで美しいということじゃ」と涙ぐむ。

おばあさんが都会へ行く孫を心配しているのがよくわかると同時に、町子が無精であることが判明する。
ちぢれ毛がコンプレックスでありながら面倒くさいことはしない。そういったことよりも頭の中で詩について思いめぐらすことが好きで……しかし実際書くものと、頭の中でぼんやりと思い描いていた詩は必ずしも一致しなかったりして……。で、見た目なんかどうでもいいのかと思いきやそうでもなくて、いざ髪の毛を短くしたら「おばあさんが泣く」といってめそめそする。あまりに突飛なことは受け容れられないという町子の性格の一端が伺える。
私も厄介なくせ毛の持主であり、無精でもあるので共感できるクダリであります。

『尾崎翠集成(上)』のその他の作品のこと

『尾崎翠集成(上)』は、「Ⅰ」「Ⅱ」「Ⅲ」と区切られていて、「Ⅰ」は『第七官界彷徨』とその自作解説、他3作(『歩行』『こおろぎ嬢』『地下室アントンの日記』)から成っています。
『歩行』は『第七官界彷徨』の主人公である町子の田舎での話、『こおろぎ嬢』には『歩行』の登場人物である幸田当八という人物が名前だけですが登場します。『地下室アントンの一夜』は『歩行』に登場した土田九作という人物が主人公です。現代でいう所のスピンオフといった作品群でしょうか。

私は『こおろぎ嬢』の中でとても好きな文章がありまして、

あまり度々パン! パン! パン! て騒ぎたかないんです。
尾崎翠『こおろぎ嬢』

というものです。

「騒ぎたく」ではなく、「騒ぎたないんです」というのがなんともツボです。
また、その直前に「霞を吸って人のいのちをつなぐ方法」があればいいのにというようなことが書かれています。本当にその通りです。人間がものを食べなくても生きられるようになれば、この世の半分くらいの問題は自ずと解決されるのではないでしょうか。

「Ⅱ」にはその他の短編小説11作と詩が2篇収録されています。
私は『香りから呼ぶ幻覚』という小説がかなり気に入りました。煙草をのんで幻覚にふけるという女性の話。変格探偵小説のような趣があります。
朝日スターMCCロードバイロンなどという耳慣れない煙草の銘柄に何だかウットリ。特にロードバイロン。この中では一番強い煙草らしいのですが、不思議と心惹かれる名前です。

それと冒頭で紹介した『木犀』も「Ⅱ」に収録されています。「生涯中の駄作」「枯れかかった貧乏な苔」という言葉が強烈すぎて忘れられません。代表作『第七官界彷徨』や『こおろぎ嬢』、『香りから呼ぶ幻覚』なども好きですが、私の中では『木犀』が尾崎翠のベストワンです。全体的には滑稽な感じがあるにも拘らず、ラストにどん底まで突き落とされる衝撃がつげ義春さんの漫画と相通ずるものがある気がします。是非つげ義春さんに漫画化してほしいものです。

「Ⅲ」には書簡や座談会の模様が載っています。

残念極まりないのが、かなづかいが改められていること。「もともとの古い表記の方がやっぱり微妙に味わい深い」と編者の方もあとがきで述べているのですが、できるだけ多くの人に作品を楽しんでもらいたいので改めたとのこと。
贅沢をいうなら、旧かなはそのままで、旧漢字だけなおしてもらえたらよかったのになァと……。
題名ひとつとってみても、『こおろぎ嬢』より『こほろぎ嬢』の方が断然風情があります。

『尾崎翠集成(上)』以外の尾崎翠の本

尾崎翠集成(下)a』もあるのですが、初期の頃の少女小説や映画評、脚本などが収録されているそうです。

それとちくまから集成とは別に『尾崎翠全集a』が出ています。これだと旧かなですし、解説もすごく詳しいみたいなのですが、今現在は中古しかなくお値段が結構お高めです(上下巻それぞれ3000円くらい)。
映画評や脚本、少女小説にはあまり興味がわかないので、とりあえず『尾崎翠集成(上)』だけで私は今の所満足です。
ご興味ある方はよかったら読んでみてください。

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