皆様は、橘小夢という画家をご存知でしょうか。
数年前にテレビで紹介されたり、2015年に個人としては22年ぶりの展覧会が開かれたり、初の画集が出たりと、近年再評価の気運が高まっている感がある画家なのですが、まだ知らない方も結構いらっしゃるのではないかと思います。
この記事では、微力ながらその橘小夢についてご紹介をさせて頂きます。
目次
橘小夢を知ったきっかけ「大乱歩展」
橘小夢「押絵と旅する男」
私が橘小夢の絵を初めて目にしたのは、2009年に神奈川近代文学館で行われた「大乱歩展」という展覧会でのことです。
上記の「押絵と旅する男」の絵が飾られているのを見て、なんだろう、この不思議な絵は……と心を惹かれました。
こちらを見る男性の体つきが妙にヒョロっとしていて、顔には薄気味悪い笑みを浮かべている……。
そして押絵の中の男女も、どことなく見るものを挑発するような、ちょっとふてぶてしい目つきをしている……。
乱歩の「押絵と旅する男」といえば、乱歩お得意の怪奇性や残忍性が影を潜めた幻想的で美しい短編小説でありますが、絵の人物たちの表情は、美しいながらに何か裏があるのでは……と思わず勘繰りたくなるような、いわくありげなものになっています。
この絵が気になって検索してみたのですが、その頃にはネット上に橘小夢についての情報は全くといっていいほどありませんでした。
後に知ったのですが、この絵は出典が不明で、挿絵として使われたものなのか、はたまた小夢が乱歩の小説に着想を得て個人的に描いたものなのか……そういったことすらも明らかではないのだそうです。
「谷根千界隈の文学と挿絵展」
その翌年、弥生美術館で行われた「谷根千界隈の文学と挿絵展」という展覧会で橘小夢の絵が展示されていることを知り、観に行きました。
屏風絵と版画数点が飾られていて、それはそれでよかったのですが、上記の「押絵と旅する男」を目にすることは出来ませんでした。
この時は橘小夢個人の画集は出版されていなかったのですが、1993年に弥生美術館で「橘小夢展」が行われたそうで、その展覧会の解説書のコピー本を入手することができました。
「橘小夢展」解説書のコピー本
この解説書により、表紙の絵「水魔」が、昭和7年に内務省より発禁処分を受けてしまったことや(裸体の女性が描かれているから……? はっきりとした理由は分からないそうです)、谷崎潤一郎の小説「刺青R」に触発されて同名の絵を描いていることなどを知りました。
また、
おのれの妖麗な夢にのみおぼれ、おのれの想像した美のみを、しつように追い求めたのである。
「橘小夢展」解説書より
という文章を読んで、ますます橘小夢に興味を惹かれました。
「大正イマジュリィの世界展」
2011年に渋谷区立松涛美術館で行われた「大正イマジュリィの世界展~デザインとイラストレーションのモダーンズ」でも、橘小夢の絵が何点か展示されていたので観に行きました。
この時は、「橘小夢展」解説書に載っていた「水魔」「刺青」、そして「嫉妬」という絵を観ることが出来ました(「嫉妬」については後述します)。
この図録にも橘小夢はちょこっと載っているのですが、本当にわずかです。
しかし大正~昭和のデザインが盛り沢山なので、これはこれで面白いです。
2013年 突然の橘小夢ブーム
上記のようなことを細々と別のブログに書いていたのですが、2013年の4月ごろ、橘小夢の記事へのアクセスが急上昇するという出来事が起こりました。
なんだなんだと調べてみた所、某テレビ番組で橘小夢が紹介されたことが分かりました。
それと時期を同じくして、弥生美術館で「魔性の女挿絵展」という展覧会が開催されていたのですが、そこでも橘小夢はかなり大きく取り上げられていて、
図録でも、橘小夢の「地獄太夫」が表紙絵になっていました(裏表紙は小夢の「嫉妬」の大正7年版)。
何故かは分かりませんが、それまでは全くといっていいほど無名であった橘小夢が、2013年ごろからにわかにフィーチャーされ始めたのです。
橘小夢の絵「嫉妬」について
「嫉妬」という絵は、「大正イマジュリィの世界展~デザインとイラストレーションのモダーンズ」でも飾られていたのですが、その図録には収録されていませんでした。
しかし「魔性の女挿絵集」に収録されています(2枚あるのですが2枚とも)。
「嫉妬」は「苅萱(かるかや)物語」に題材を得たそうです。
日頃仲の良い正室と側室が双六をして遊んだ後、盤を挟んでうたた寝している……というシーンなのですが、
黒髪は一本一本が蛇と化し、逆巻くようにもつれ合いながら牙をむいて闘っていた
「魔性の女挿絵集」
仲がいいのはうわべだけで、実は心の底ではいがみ合っていたのだ……!
という状況だった訳ですね。
橘小夢はこれをモチーフにした「嫉妬」と題した絵を2枚描いています(大正7年と大正12年)。
どちらもいいのですが、大正7年版の方が蛇が戦っている感があって迫力があるかと思います。
しかし美しくも壮絶……という女の水面下の争いをよく表しているのは、大正12年版の方かもしれません。
「魔性の女挿絵集」裏表紙。大正7年版の「嫉妬」が使われています。
ダイナミックな髪蛇(?)と、瞑った目から伸びる長いまつ毛が印象的です。
2015年には22年ぶりの橘小夢展、そしてついに個人の画集が出版
2013年ごろから徐々に橘小夢人気が高まってきたということなんでしょうか、2015年にはついに22年ぶりの「橘小夢展」が行われました。
▲25秒ごろ、「嫉妬」が2枚並んでチラリと映ります。
しかし私は当時ちょっと忙しくて、この展覧会を観ることが出来ませんでした……。
上の動画を観て行った気になろうと思います。
橘小夢の画集
そして2015年までは橘小夢個人の画集はなかったのですが、2015年に一気に2冊も発売されました。
こちらはちょっとお高いので、私はまだ入手出来ておりません……。
上とほぼ同時期に発売されたこちらの画集は買いました(ちょっとコンパクトで値段も上よりは安い)。
それまでは、「押絵と旅する男」は「大乱歩展」の図録でしか見ることが出来なかったのですが(かなり小さめ)、こちらでようやく少し大きめの「押絵と旅する男」を眺めることが可能になりました。
「地獄太夫」のような大きな屏風絵や、「水魔」のような版画作品も素晴らしいのですが、私は「押絵と旅する男」や「嫉妬」のようなペン画に惹かれます。
「橘小夢展」解説書によると、小夢はビアズリーに影響を受けていたようで、
その緻密な線や、退廃的な雰囲気にそれを見てとれますが、小夢には小夢独特の味があると思います。
「押絵と旅する男」の表情にしても、日本的なねちっこさというか、陰鬱さというか、いやらしさというか、土着的な感じというか……そういった諸々がひっくるめて表れている気がします。
なんだかねちっこい感じがしませんでしょうか……私にはそれが魅力に思えます。
という訳で、もしよかったら皆様も橘小夢をチェックしてみてください!
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