私はホラー映画が好きなのですが、それは怖いからというより、非日常的な雰囲気を味わえるのと、単純に自分には面白く感じられるものが多い、という理由からです。
私が観て怖いと思う映画は戦争映画……それもあまり戦闘シーンが出てこず、犠牲になる一般市民や下級兵士などにスポットを当てているような戦争映画です。
こういった映画を数多く観ている訳ではないのですが、今まで観たその系統の映画は私にとってはかなりショッキングで、鑑賞後数年を経ても強く印象に残っているものばかりです。
死と隣り合わせである恐怖に加えて、極限状態での人間のいやしさ、浅ましさ、愚かしさが描かれていたりもするので、後に尾を引く胸糞悪さがあります。
しかしだからこそ観るものに戦争の恐ろしさがひしひしと伝わってくるともいえます。そういった映画は平和のために後世に語り継がれるべきではないかと思います。
以下で私が恐怖した戦争映画7作をご紹介してみます。
ジョニーは戦場へ行った
アメリカ人の青年ジョーは、第一次世界大戦に兵士として出征した。そこで顔や手足に重傷を負い……。
想像もつかない恐怖と絶望……。重い、とにかく重いです。
一体自分はどういう状態であるのか――。体を動かすことができないジョーは、神経を総動員して自己の体を分析し、そして……というシーンがとてつもなく恐ろしい。
ジョーの回想に登場する過去のジョーは非常にイキイキとした青年です。戦争で傷を負ったひとりひとりの人間がそれぞれの人生を背負っている――誰もが頭では分かっていることだと思いますが、ベッドに横たわるジョーと共に彼の人生を振り返ると、そのことが真に胸に迫ってきます。
ちなみに、タイトルの『ジョニーは戦場へ行った(Johnny Got His Gun)』は、
The title of Johnny Got His Gun alludes to a wartime patriotic song that included the line “Johnny get your gun” in the refrain.
Johnny Got His Gun
『Over There』という軍歌に「Johnny get your gun」というフレーズがあり、それを皮肉ってつけられたのだとか。
ディア・ハンター
マイケル、ニック、スティーブン、スタン、アクセルの5人は、町の製鋼所に勤める仲間である。
彼らの内、マイケル、ニック、スティーブンはベトナムに徴兵されることが決まっていた。
ベトナム行きの直前に、彼ら3人の歓送会と、スティーブンの結婚式が合同で行われ、皆大いに楽しんだ。
その後3人はベトナムに出征し……。
はじめの結婚式の場面が長いこと長いこと……!
全部で3時間ほどの映画なのですが、その内の約1時間がパーティーと鹿狩りに費やされています。今の映画界ではなかなかできそうにない贅沢な時間の使い方です(正直ちょっと早送りしたくなりました)……。
しかしその後舞台がベトナムに移ってから俄然引き込まれました。マイケルら3人は捕虜になってしまうのですが、そこでやらされそうになることが非道すぎる……! そしてそのシーンの緊張感の凄まじさといったら……!
冒頭のパーティーシーンとの落差がすごい。プラスからマイナスへと一気に急降下。パーティーシーンに1時間も費やしたのはこの効果を狙ってのことだったのかと納得。
そして終盤にもまた大変緊張感がある対決が待ち構えています。ロバート・デ・ニーロとクリストファー・ウォーケンの演技がすごすぎて涙が出ます。
観終わってから、再度冒頭のパーティーシーンを観てみると……初見時にはひどく長く思えたあのシーンが、なんだか夢のようにまぶしく、美しく感じられるのですから不思議なものです。
ちなみに、ベトナム戦争時にこの映画に出てくるようなことが実際に行われていたかどうかについては争いがあるようですが、実際にはなかったとしても、「こういうこともあり得るのかも」と思える戦争という状況がやはり異常事態なのだと感じます。
風が吹くとき
ジムとヒルダの老夫婦は、ふたりきりで穏やかな余生を過ごしていた。しかしある日のこと、核戦争が起こりそうだという不穏なニュースがラジオから流れてきて……。
落ち着いた老夫婦が主人公(というか、それ以外の人物は写真などでしか登場しない)なのですが、2つの大戦を乗り越えてきた経験があるからか、核戦争のニュースを聴いてもさほど取り乱したりはせず、淡々と核に対する準備を進めていきます。
2人が頼りにしているのは政府が発行したパンフレット。そこに書いてある通りに簡易シェルターを作り、窓にペンキを塗り、食料を備蓄し……。
そしてついにその日がやってきます。
世界の終わりのような光景を目にしても、2人はまだ政府が助けにきてくれると信じている。否、信じるしかなかったのだろう。身体に現れ始める種々の症状からも目を逸らし続ける。
2人は善良な市民であるけれど、政府も、神も仏も、誰も彼らを救ってはくれない――。
ゆきゆきて、神軍
何故2人の兵士は終戦後23日もたってから「敵前逃亡」の罪で処刑されたのか――? ニューギニア戦を生き抜いた奥崎謙三氏が、事件の真相を追うドキュメンタリー。
奥崎謙三氏がエキセントリックすぎてついそこに注目してしまいますが(昭和天皇にパチンコ玉を撃って逮捕されたりしています)、映画の大筋である「部下銃殺事件」も闇が深すぎて恐ろしいです。
奥崎謙三氏のやり方に全面的に同意はできませんが(カメラの前でも平気で暴力を振るったりするので)、あそこまで自分を信じてひた走れるのはすごいことだと思います。もともとそういう方であったのか、それとも戦争が奥崎氏をそのように変えたのか――。
銃殺事件に関わった方の、「昔のことだからもう蒸し返さないでほしい」という気持ちも分かります。
何十年と平穏に暮らしてきたのに(時には罪の意識に襲われることもあったでしょうが)、突如として戦時中の悪夢のような出来事を洗いざらい話せといわれたら動揺もするでしょう。
しかしこういった証言が映像として残ったことに意味はあったと思います。
私はこの映画を観て、これがフィクションではなくノンフィクションである……つまり戦時中に実際にこのようなことが行われていたのだ、ということに大変な衝撃を受けました。
そして恐らくこれは氷山の一角で、各地で同様の事件が……否、もしかしたら戦時下では事件と呼ぶほどのものではなく、日常茶飯事として頻繁に行われていたことなのかもしれない……と思えてきて、それにもゾッとさせられました。
人間は愚かである。極限状態では何をしでかすか分からない……。だからこそ、戦争による極限状態を生み出してはならないのだ、と考えさせられる映画です。
野火
フィリピンに出征中の田村一等兵は肺を患ってしまう。野戦病院に赴くが、病院は重傷のケガ人で埋め尽くされていて居場所がない。部隊からも追い出された田村は、フィリピンの森や海をさまよい歩き……。
1959年市川崑監督版『野火R』もあるのですが、私は2014年塚本晋也監督版『野火』の方が恐ろしく感じました。
2014年版はカラーで、山や海などの大自然が色鮮やかに映し出されていました。それについて塚本晋也監督がインタビューで以下のように語っています。
──原作のどのようなところに衝撃を受けたのでしょうか?
美しい大自然と、そこでなぜか人間だけがボロボロになっていくコントラストです。
『野火』塚本晋也監督インタビュー(ネタバレが多いので注意)
とのことで、その衝撃を映像化なさったのでしょう。そして恐らく塚本監督が受けたのと同じ衝撃がこちらにも伝わってきました。
またグロシーンが少々あるのですが、これもカラーの方がやはりショッキングに映ります。
グロはやりすぎると見世物的になってしまいますが(私はそういう映画も好きですが)、あまりそういったシーンがなさすぎても、戦争の本当の恐ろしさが伝わらない気がするので難しい所です。2014年版『野火』はそのグロ加減がちょうどいいように私には思えました(1959年版はちょっと描写が控えめすぎるかも……白黒なのでただでさえ画面が地味ということもありますし……)。
そして1959年版との決定的な違いはラストにあります。2014年版のラストを余計とみるか否かでこの映画への評価は真っ二つに分かれそうです。私は2014年版のラストは極めて効果的であると感じました(そこに一番ゾッとなるシーンがあったので)。
といっても、やはり1959年版の抑えめな描写のほうが好みだという方もいらっしゃると思いますので、よかったら観比べてみてください。
鬼が来た
第二次世界大戦末期、中国のある村が舞台。ある夜更け、マー夫婦のもとに正体不明の男が訪ねてきて、2つの麻袋を置いていく。そのひとつには日本兵の花屋小三郎、もうひとつには通訳の中国人が入っていて……。
前半は意外にもコミカルなシーンがあったりして、割とほのぼのと進行します。
しかし後半の急転直下――。
日本人と中国人、心が通い合ったと思ったのも束の間、事態は最悪の方向に……。
戦時中に日本人がなされていた洗脳とでもいうものは非常に根深かったのだろうか――と感じさせられます。
ラスト1分だけカラーになるシーンが見所です。
縞模様のパジャマの少年
第二次世界大戦中のドイツが舞台。8歳の少年・ブルーノは、軍人の父、優しい母、4つ年上の姉と共にベルリンで暮らしている。父の昇進のため引越しをすることになったのだが、新居の傍には有刺鉄線で囲われている奇妙な敷地があった。
そしてブルーノは、有刺鉄線越しに縞模様のパジャマを着た少年と出会い……。
2人の無邪気な少年をよそに、姉はだんだんとナチスの思想に染まり始め、父は軍人としての職務を粛々とまっとうする。
いつの間にか姿が見えなくなる使用人、父の部下――。
ブルーノは不穏な空気を感じつつも、自分の父が残虐な行為をするなどとは思いたくなく、父や自分にとって都合のいい情報を鵜呑みにしてしまう。
2人の少年は出会わないほうがよかったのだろうか? ブルーノに残酷な真実を告げるべきだったのだろうか? 否、そもそも戦争などというものがなければ、全ての不幸な出来事は防げたに違いありません。
あとがき
戦争映画とひとくちにいってもいろいろなタイプがありまして、
- 戦時下での人間(主に軍人)の狂気に焦点を当てている……『地獄の黙示録R』『フルメタル・ジャケットR』など。
- 怖さより感動が上回る……『シンドラーのリストR』『ライフ・イズ・ビューティフルa』など。
- グロを前面に押し出している……『黒い太陽七三一』『イルザ ナチ女収容所/悪魔の生体実験a』など。
といった感じです(あくまで私の主観ですが)。
もちろん上記の映画からも戦争の恐ろしさは伝わってくるのですが、この記事では、私がより身近な恐怖を感じ、それだけに「戦争はよくない」という気持ちを一層強められた映画をご紹介してみました。
入れようかどうか迷った映画として、『炎628a』『ジェイコブス・ラダーa』をあげておきます。
こういった映画を観ると、生きるか死ぬか、やるかやられるか、という状況が恐ろしいのはもちろんですが、そのように仕向ける人間がいること、その決定に盲目的につき従う中間管理職的な人間がいること、一般市民はやむを得ず彼らの言うとおりにしなければならないこと、そして犠牲になるのは決定権がない一般市民だということ……に憤りを覚えます。
しかし自分が同じ状況に追い込まれた時に、果たして上からの圧力に抗えるのだろうか……、自分もやはり恐怖に脅えながらただただ犠牲になることしかできないのではないだろうか。また、我が身かわいさから上司の理不尽な命令に逆らえず自分より立場の弱い人の尊厳を踏みにじったりするのではないだろうか……とも考えてしまい、「一個人が体制に立ち向かうには限界がある」という無力感も同時にわいてきます。
戦争に限らず、権力や大義名分を振りかざして弱者を虐げたり、やりたくもないことをそれとなく強いるような行為はあってはならないと思います。
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