以前、「生まれないのが一番幸せ~反出生主義的な名言集」という記事に厭世的な名言も一緒に載せていたのですが、量が増えてきたので別記事に分けることにしました。
以下、厭世的な名言集(順不同)をご覧ください。
目次
ジョルジュ・バタイユ
他の人間にとってはこの世はまっとうなものに思われる。まっとうな人間にはそれはまっとうに見えるのだ、なぜなら連中は去勢された眼をしているからだ。
ジョルジュ・バタイユ『眼球譚』
「去勢された眼」……中二病っぽくてカッコいい言い回しです。
紀元前ギリシアの哲学者・ヘゲシアスも似たようなことを言っています。
「生は気の狂(ふ)れた者にしか善きものとは見えない」
また寺山修司が、
ジョルジュ・バタイユによると、人と豚やイヌとの違いは、「人が性と死について不幸な自覚を抱いている」ということになるらしい
佐伯俊男『痴虫2号』
バタイユについて上記のようなことを述べています(『痴虫2号a』佐伯俊男論)。
江戸川乱歩
たとえ、どんなすばらしいものにでも二度とこの世に生れ替って来るのはごめんです。
江戸川乱歩『探偵小説四十年 最初の「江戸川乱歩全集」身辺多事の年』
雑誌『新青年』の作家アンケート、「あなたが生れ替ったら(どうなさいます)」という問いに対する答え。
乱歩の代表作『屋根裏の散歩者』『人間椅子』『鏡地獄』『パノラマ島奇談』『陰獣』『芋虫』『押絵と旅する男』などはいずれもデビューから10年以内に書かれたものです。この頃乱歩は大の人嫌いであったのだとか(戦争中にお酒が飲めるようになり人好きに)。
このアンケートは昭和6年のものなので、まだ乱歩がバリバリに人嫌いだったであろう頃の答えです。
芥川龍之介
人生は狂人の主催に成ったオリムピック大会に似たものである。
芥川龍之介『侏儒の言葉』
人生は地獄よりも地獄的である。
芥川龍之介『侏儒の言葉』
地獄が与える苦しみには一定の法則があるが、人生が与える苦しみはそれほど単純なものではない……というのがその理由だそうです。
僕はゆうべ或売笑婦と一しよに彼女の賃金(!)の話をし、しみじみ「生きる為に生きてゐる」我々人間の哀れさを感じた。
芥川龍之介『或旧友へ送る手記』
人生は「選ばれたる少数」を除けば、誰にも暗いのはわかつてゐる。しかも又「選ばれたる少数」とは阿呆と悪人との異名なのだ。
芥川龍之介『闇中問答』
太宰治
死ぬも生きるも同じ様なものじゃないか。どっちにしたって同じ様につらいんだ。
太宰治『パンドラの匣』
夏目漱石
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
夏目漱石『草枕』
長山靖生
イヤな世の中がイヤになるのは、正当なことだ。イヤな世の中にあって厭世的にならないのは悪人くらいのものである。
長山靖生『「人間嫌い」の言い分』
戸川昌子
「そうよ、ふたりとも人生がつまんないってことがわかったの」
「それは誰にだってわかっていることだよ。ただ大人になるとね、それを口に出す気力がもうなくなってしまうんだ」
戸川昌子『深い失速』
尾崎紅葉
「考へて
鬱 いだところで、つまらない世の中に儚い人間と生れて来た以上はどうも今更為方が無いぢやないか。だから、つまらない世の中を幾分 か面白く暮さうと考へるより外は無いのさ」
尾崎紅葉『金色夜叉』
シオラン
社会とは番人のいない牢獄なのだ、――ただしそこから逃げ出せば、破滅が待ち構えている。
シオラン『崩壊概論』
ディヴィッド・ベネター
みんなの人生は、最も恵まれた人のものでも、通常考えられているよりも遥かに悪い。
デイヴィッド・ベネター『生まれてこないほうが良かった』
キルケゴール
世間と呼ばれているものは、もしこういってよければ、いわば世間に身売りしているような人々からだけ出来上っているのである。
キルケゴール『死に至る病』
アンリ・ミショー
目覚めの悲しさ!
再び降下して屈従しなければならない。
人間は自分の敗北を再び見出す、日常という名の敗北を。
『世界毒舌大辞典』
ショーペンハウア―
この世の中では、どこにいってもあまり多くを得ることはできない。災いと苦痛がこの世を満たし、これを脱却できても、あらゆるものかげで退屈が待ち伏せしている。
ショーペンハウアー『孤独と人生』
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