『眉山』という太宰治の短編小説があります。
昭和23年、太宰治が自殺する半年ほど前に書かれた作品です。
これを読んで、『人間失格』との共通点や、「恥」の意識、また太宰治の愛人・山崎富栄について思うことがあったので、以下に書いてみます。
目次
太宰治『眉山』あらすじ
ある小説家の行きつけの飲み屋に、トシちゃんという若い女中さんがいた。
小説が大好きだというトシちゃんだが、それほど知識がある訳ではなく、知ったかぶって話に割って入ってくるので、お客からちょっと鬱陶しがられていた。
ある日、小説家がその飲み屋に向かっていると、顔なじみの男性に声をかけられて……。
『眉山』 のラスト(注:ネタバレあり)
『眉山』のラストは急転直下という感じで、女中のトシちゃんが実は腎臓結核に侵されていて、もう先が長くないことが分かります。
主人公が10日間ほど体調を悪くして寝込んでいる間に、トシちゃんは既に故郷に帰っていました。
トシちゃんはよくトイレにドタドタと駆け込んでいて、粗野な振る舞いとしてお客たちから不評だったのですが、それも病気が原因だったのでしょう。
久々に飲み屋に行こうとした途上で偶然出会った知り合いにそれらのことを聞いて、主人公の小説家は思わず下記の言葉を口にします。
「そうですか。……いい子でしたがね。」
太宰治『眉山』
そしてその直後、以下の文章が続きます。
思わず、溜息と共にその言葉が出て、僕は狼狽し、自分で自分の口を覆いたいような心地がした。
太宰治『眉山』
もうすぐ死ぬかもしれない、という女の子に対して、「そうですか。……いい子でしたがね。」という感想をもらすのは当たり前といえば当たり前です。しかし何故か主人公は狼狽しています。
一方、知り合いのほうからはそのような狼狽は全く感じられません。
知り合いはトシちゃんに「ミソ踏み眉山」などというあだ名をつけて陰で小馬鹿にしていたにもかかわらず、トシちゃんが死ぬと分かったらコロッと掌を返してトシちゃんを褒めたたえます。
主人公に「しかしあんた、トシちゃんにひどいあだ名をつけていたくせに」というようなことを茶化すようにいわれても、悪びれもせずにちょっとムッとする始末です。
これは、「【そういうものだから】と、それまでの態度を豹変させること」に気恥ずかしさを感じるタイプの人間と、感じないタイプの人間がいるということが表現されている文章という気がしました。
といっても、別にどちらのタイプがいいとか悪いとかいう訳ではなく、ただそういうタイプがある、というだけの話かと。
そしてどちらもトシちゃんを冷たくあしらっていたことには変わりないので、2人は結局やりきれなさを抱えて共に飲みに行くことにします。ただし後味があまりよくなかったのでしょう、トシちゃんがいたのとは別の飲み屋に向かった――という所で『眉山』は終わります。
恥の意識
「【そういうものだから】と、それまでの態度を豹変させること」に気恥ずかしさを感じないタイプの人間には、感じるタイプの人間が一体何をそんなに恥ずかしがっているのだか全く理解できないと思います。
またこの気恥ずかしさも、「照れ」くらいで済む人と、それでは済まずに「恥」と深刻に受け止めてしまう人がいそうです。
蛭子能収さんが『ひとりぼっちを笑うな』という本で、お葬式について以下のような文章を書いています。
そういう儀式みたいなものに参加して、一生懸命みんなと同じようなフリをして、どうにか迎合しようとしている自分自身がものすごくおかしくなってしまうんです。
蛭子能収『ひとりぼっちを笑うな』
これは「照れ」ではないかと思います。
「そういうものだから、そういうフリをしている自分」を客観的にみてしまって、なんだかコッケイに感じるのではないでしょうか。
そして『人間失格』にはあの有名な一文があります。
恥の多い生涯を送って来ました。
太宰治『人間失格』
太宰治は、気恥ずかしさを「恥」と受け止めてしまうタイプの人間だったのかもしれません。
主人公の葉蔵(恐らく太宰治自身がモデル)は、心の底にある人間恐怖から道化を演じてしまう。その演技は完璧なはずだった。しかし中学生の時、同級生の竹一にわざと鉄棒に失敗したことを見破られて――。
これだって別に「見破られちゃったか(照れ)」で済ませてもよさそうな話ですが、葉蔵はそうはできません。竹一の死を祈るほどに思い詰めてしまうのです。
日常で多少演技をすることくらい、誰にでもあることだと思うのですが、太宰治の場合、それを見破られることが死活問題となっていた――多くの人がなんとも感じないようなこと、または「照れ」で済むくらいのことを、深刻に「恥」と受け止めてしまう性分だったのかもしれません。自意識が過剰すぎるほど過剰だったのではないでしょうか。
『人間失格』のラスト(注:ネタバレあり)
『人間失格』のラストにも、『眉山』同様「いい子」という台詞が出てきます。
「私たちの知っている葉ちゃんは、とても素直で、よく気がきいて、あれでお酒さえ飲まなければ、いいえ、飲んでも、……神様みたいないい子でした」
太宰治『人間失格』
人間を恐れるあまり、ずるずると堕ちる所まで堕ちていった葉蔵は現在生死不明ですが、恐らく亡くなっているだろう……と、手記を読んだ小説家は想像します。それを受けて、葉蔵の昔なじみであるバーのマダムが上の台詞をいいます。
葉ちゃん(葉蔵)のモデルは恐らく太宰治自身なので、自分で自分のことを「神様みたいないい子」と褒めていると思うとちょっと可笑しいですが、『眉山』を知った後にこの台詞を思い返すと、もしかしたらこれも皮肉なのではないか、と思えてきました。
生前無茶苦茶をやって周囲に迷惑をかけ、鬱陶しがられたり嫌われたりしていた人も、死や病気により美化される。人間の気持ちなんていうものは、何かの拍子によりコロッと変化してしまう程度のものなのだ――という諦観を、太宰治は持っていたのかもしれません(「俺が死んだ後、誰か俺を神様みたいないい子だったっていってくれないかな……」という願望も少しは混ざっていたのかもしれませんが)。
『眉山』のトシちゃんのモデルは太宰治の愛人・山崎富栄?
山崎富栄とは、太宰治と共に心中した愛人です。
太宰治の評伝『桜桃とキリスト』で、富栄について、
文学についても無知で、半可通の知識で割り込んできて一座を辟易させる時があった
長部日出雄『桜桃とキリスト』
という記述がありまして、これを読んだ時に太宰治の『眉山』のことを思い出しました。
富栄はバーの美容師(昔は美容室がついているバーがあったとか)だったそうで、評伝によると女中さん的な仕事もしていたようです。
ただ『眉山』のトシちゃんはあまり顔がかわいくないという風に書いてあるのですが、富栄はかなりの美人です。
山崎富栄|Wikipedia
それと文学についてはそれほど詳しくなかったのかもしれませんが、富栄は英語が話せる才女であったとのことです。
と、少し相違はあるものの、『眉山』のトシちゃんのモデルは富栄だったのかなという気がします(後述しますが、富栄の日記にもそれを思わせる記述が出てきます)。
山崎富栄は思い込みが激しそう
『眉山』のトシちゃんは、人に馬鹿にされたり鬱陶しがられたりしてもケロリとしているというなかなか強烈なキャラなのですが、モデルとなったであろう山崎富栄のエピソードも結構強烈です。
- 太宰が、太田静子(太宰のもう1人の愛人)との間にできた子供に「治子」と命名すると、「名前を一文字あげるなんて」と烈火のごとく怒る(何様……!?)。
- 太宰と出会ってから1年後の日記に、
私達夫婦が、はじめてお逢いした
その一周年記念の日。
山崎富栄『雨の玉川心中』三月二十七日と記す。夫婦じゃないし……愛人だし……。そして遺書にも自分のことを「妻」と書いている。思い込みが激しすぎてちょっとコワい……。
『雨の玉川心中』(山崎富栄の日記)三月九日では、電話で「奥さんですか」と尋ねられて、「はい」と答えられなかった、と書いているので、正妻気取りというほどではなかったのでしょうが、内心では「私が奥さんよりも先に出会っていれば」という思いを抱いていたようです。
というか、太宰治が「君と十年前に遭いたかった」などというものだから(『雨の玉川心中』一月十三日)、富栄がだまされてしまったのもやむを得ないかもしれません。
しかし太宰治は本当は「十年前に遭いたかった」などとは思っていなかった気がします。子供の件のように口先だけでいっていたのではないかと。
か、その場の雰囲気に流されて、いっている時は本当にそのように思い込んでしまうのかも……そしてあとになって後悔するという。
太宰治の評伝を読んだり、富栄の日記を読んだ所、富栄は太宰のようにブレることなく「思い込んだら一筋」というタイプで、どちらかというと心中も富栄の方が乗り気だったのでは……太宰は富栄に引きずられるようにして亡くなったのでは――という風に感じられました。
『眉山』は「富栄に優しくしてあげて」という太宰治から仲間内へのメッセージ?
繰り返しになりますが、愛人の山崎富栄は『眉山』のトシちゃんと同じく、
文学についても無知で、半可通の知識で割り込んできて一座を辟易させる時があった
長部日出雄『桜桃とキリスト』
とのことで、太宰の仲間内にちょっと煙たがられていたようです。
太宰自身もそういう富栄を少し鬱陶しく思いつつも、やはり愛人が仲間に受け容れられていないとなると哀しい気持ちがあって、『眉山』を書いたのかもしれません。
お前ら、みんな富栄のことを馬鹿にしているけど、こういう裏事情があったらどうなんだ、富栄が今死んだらさぞかし後味が悪いだろう、それか恥ずかしげもなく「いい子だったのに……」とかいうんだろう、だったら今優しくしてやれよ、という気持ちだったのかも……?
富栄自身はどう思っていたのか
山崎富栄の日記『雨の玉川心中』二月九日に、以下のような記述があります(手紙の下書きのようです)。
三月号か四月号の小説新潮に『眉山』というのをお書きになりましたが、これは、きっと堤様の腸ねんてんの原因になる恐れの十分にある作品ではなかろうかと、思われます。
山崎富栄『雨の玉川心中』
堤様とは、堤重久という太宰治の弟子です。
これは私の想像ですが、富栄は堤重久に陰で小馬鹿にされていると薄々気付いていて(富栄がそう思い込んでいただけかもしれませんが)、上の文章をイヤミで書いたのかなという。
冗談にしてもちょっとイヤミっぽく感じられます。「太宰さんは私のことを庇ってくれた、ザマーミロ」という感情が漏れ出している気がするのは私の邪推というものでしょうか……。
いずれにしろ、気が強い女性だったのかなと思わせられます。
ただこの手紙を実際堤重久に宛てて出したのかは分かりません。日記に本音を書いてスッキリして、本人にはこのようなことは伝えなかった可能性もあります。
太宰治「うちの奥さんの方が気品がある」
『雨の玉川心中』を読むと、富栄の太宰治への愛が凄まじくて恐ろしいくらいなのですが、一方の太宰治はどうだったかというと、富栄とは少し温度差があったように思えます。
太宰治は、富栄本人や編集者の前で、「(富栄より)うちの奥さんの方が気品がある」といったそうです。
「【クズ…?】私が好きな太宰治のエピソード5つ【熱海事件、芥川賞事件など】」という記事で紹介したのですが、自分は他の作家仲間にちょっと悪口をいわれておいおい泣いたというのに、富栄にこんなひどいことをいうとは……よりによって奥さんと比べるとは、配慮がなさすぎるのではないでしょうか。
自分が傷付くことには敏感なのに、他人のことは平然と傷付けてしまう人だったのかもしれません(いますよね、こういう人……って、自分も多少そういう嫌いがあるので気をつけねば……)。
とはいうものの、『雨の玉川心中』にはこれに関しての記述はないようなので(評伝に載っていた)、富栄は太宰治のこの発言をさほど気に留めていなかったのでしょうか……?
太田静子の子供の名前には怒り狂うのに、この発言には怒らない……。富栄の怒りのスイッチがどこにあるのだか私にはよく分かりません……。
そして太宰治の遺書には、
美知様 誰よりもお前を愛していました
太宰治の遺書
という文章が書かれていたそうです(美知様、とは太宰治の奥さんのこと)。
ええ……今正に愛人と一緒に心中しようとしている時にこれを書くとは、一体どういう神経の持ち主……?
奥さんも複雑だと思いますが、富栄がこれを知ったらどんな気持ちになるでしょうか……。
まとめ
「恥」についての部分と、山崎富栄に関しての文章は別記事に分けたほうが分かりやすいかとも思ったのですが、『眉山』つながりということで結局1記事にまとめました。
ちょっと取り留めがなくなったので(いつものことといえばそうなのですが……)、要点を箇条書きにすると、
- 「【そういうものだから】と、それまでの態度を豹変させること」に気恥ずかしさを感じるタイプの人間と、感じないタイプの人間がいる
- またこの気恥ずかしさも、「照れ」くらいで済む人と、それでは済まずに「恥」と深刻に受け止めてしまう人がいそうである
- 太宰治は恐らく「恥」と深刻に受け止めてしまうタイプ
- その割には人のことは結構平気で傷付ける
- 太宰治の愛人・山崎富栄は思い込みが激しそうでちょっと怖いが、やはり不憫である
といった感じです。
太宰治は自分の心の動きに敏感で、それを書き表すのが素晴らしく上手だと思います。同じタイプの人にとっては、自分の気持ちを代弁してくれているように感じられるのでしょう、熱烈なファンがいるのも頷けます。
しかし人間的にはやはりクズだなァと思ってしまいます……。
【クズ…?】私が好きな太宰治のエピソード5つ【熱海事件、芥川賞事件など】
置き去りにされた檀一雄かわいそう……。
芥川龍之介、太宰治、坂口安吾はなぜ子供を作ったのか
この記事で紹介した富栄はもちろんのこと、奥さんも太田静子(もうひとりの愛人)もやっぱりかわいそう……。