私は幼い頃はどちらかというと目立ちたがり屋だったのだけれど、中学生に上がったあたりから引っ込み思案になってしまった。
だからなのか、人前で何らかのパフォーマンスを行う人を無条件にすごいと思うのだけれど、その上群れずにひとりで活動している人のことはより一層尊敬する。
首くくり栲象さんはそういった孤高の身体芸術家で、しかもその名の通り首をくくるという「体、張りすぎィ!」な公演を行っている。唯一無二、しかも物騒という、まさしくうらなか書房好みのパフォーマーなのであります。
2017年4月27日(木)、その首くくり栲象さんの庭劇場での公演を鑑賞してきたので、以下でその模様をお伝えします。
首くくり栲象さんとは
1969年から活動。当時は新宿や銀座の路上で、ケイレンパフォーマンス(突っ立っている⇒疲れて痙攣、倒れる)を行っていた。自らの胸に焼鏝を押し当てたり、天井桟敷館で首吊りを行ったりしたことも。
50歳になる前日に、ふと「明日から首吊っていこう」と、首吊り一本に集中することに決めたのだとか。
1997年から、東京都国立市の庭劇場(ご自宅の庭)で首をくくるパフォーマンス(ご自身では「アクション」というそうです)を行っている。
一般的な劇場や海外での公演も行っているが、それ以外はほぼ毎日庭劇場で首をくくっている。
月に数回、首くくりのアクションを一般公開している(料金:1人1000円)。予約は不要。
庭劇場付近の駐車場
電車で行く場合はMapをご覧ください。
もしも車で向かう場合は、
「アートスクエア櫻文堂」というお店(閉鎖済?)の横にコインパーキングがありました。恐らくそこが最寄りの駐車場ではないかと思います(首くくりさんの庭劇場から見て南東方面)。
そこから首くくり栲象さんの庭劇場まで徒歩10分ほどでした。
首くくり栲象さんの庭劇場
地図を頼りに辿り着いたあたりには鬱蒼とした茂みが……。茂みをかき分けていくと……。
「庭」という看板と矢印を発見
矢印の先にある青いビニールシートをくぐると……
首くくり栲象さんの庭劇場に到着です
既に縄が……!
立ち見かと思っていたのですが、ありがたいことに椅子が用意されていました。
趣のある料金箱。
公演開始の10分ほど前に着きました。
首くくりさんは公演前ということでピリピリなさっているのかしら……と思ったらそんなことはなく、気さくにお話しして頂けました。
しかし公演が始まるとさすがというべきか、にこやかな表情から一転、うってかわって凛とした表情に。
首くくり栲象さんの庭劇場公演
全部で45~50分ほどの公演で、その内首を吊っていたのは7分強です。以前に比べると吊っている時間は短くなったそうなのですが、それでも7分強……。この時間吊りっぱなしってすごいことですよ……!
まずは舞踏を思わせる厳かな歩行から始まります。無音。たまに聞こえる虫の羽音や風の吹く音、電話の鳴る音、遠くの方の車のエンジン音……邪魔になるかと思いきやそんなことはなく、むしろ全てが演出のように感じられて心地いい。
首くくりさん越しに見える縄、縄越しに見える首くくりさん……どの場面を切り取っても絵画のように決まっている。
首くくりさんの静かな、しかしピンと張り詰めた動きを見ている内に、次第に現実感が失われていく。
そしていざ首をくくる段になると、縄がギシギシと凄まじい音を立てる。こんなにも不安をかきたてられる音はそうそうない。胸がざわめく。思わず息を呑む。素晴らしい。他にBGMなどいらない。
地面にあいた穴は別世界への入口のように見えた。
首を吊ってから3分半ほど経過した所で……
自然のなすがままにユラユラと揺れていた体の動きが、首を吊ってから3分半ほど経過した所でようやくおさまってくる。
そして首くくりさんが徐に自らの体をコントロールし始める。
死の淵から甦り、首を吊られたまま静かに、ゆっくりと舞い踊る首くくりさん。
地上に降り立ち、まず感じるのは喜びなのか、それとも生き残ってしまったことへの悲哀なのか――。
公演後
公演後は再びにこやかな表情に戻る首くくりさん。
首を吊った後なので相当お疲れだと思うのですが、そのような素振りは微塵も見せずに観客をもてなしてくれます。
インドで公演を行った際には、マンゴーの木の枝を使用したのだとか。そして現地の人々が首を吊る首くくりさんのすぐ傍までわらわら寄ってきたので弱った……などという貴重なお話を伺えました。
その後私は家が遠方のため、残念ながらすぐにお暇させて頂いたのですが、他の方は首くくりさんの家に上がって一緒にご飯を召し上がったようです。ご飯つきって……! 首くくりさん、サービス精神旺盛すぎます……!
感想
上でも書きましたが、首くくりさんは首吊りをふと思い立って始めたようです。
首つりの行為を何十年とやってきました。なぜ始めたのかと、長い間、自らに尋ねてきた。動機は幾つか考えられましたが、うなづけるものはなかった。
庭劇場能書き集「3月の乙女椿は花盛り」
50歳の前日にふと思い立って、それ以来ほぼ毎日首を吊っている。あまり気負って何かを始めるよりも、こういう肩の力が抜けたような始め方のほうが、ものごとは長続きするのかもしれない。
毎日同じことをしていても、体調や気分によりパフォーマンスの出来は変わるだろう。
途中、もうやめたいと思ったこともあったかもしれない。キワモノ扱いされたこともあったかもしれない。
しかしそういったことを乗り越えて、毎日淡々と首吊りを繰り返す。
それはきっともう修行のようなもので、そのため首くくりさんは仙人を思わせる雰囲気を身にまとうようになったのではないだろうか。
ただこれは芸術だけでなく、日々の営みにも通ずるものがある気がする。自分がやると決めたことを、人が見ていようがそうでなかろうが、毎日淡々と続ける。するときっと周囲の雑音はいつしか気にならなくなり、いかにその作業を研ぎ澄ませていくのか、そのことだけに意識が集中していくようになるのかもしれない。
ところで私は本物の首くくりが見たいかというと、あまり見たくない。ホラー映画に本物の殺人を求める訳ではないように、私は美と恐怖が入り混じったこしらえものを見たいのである。
首くくりさんの首吊りはただいたずらに恐怖心をあおるものではなく、私が求めるれっきとしたパフォーマンスであった。ただ、パフォーマンスという言葉から人々が一般的にイメージするであろうパフォーマンスより、だいぶ哲学的なパフォーマンスであった。
首くくりさんは首をくくることにより、「生と死は紙一重である」と表現しているのかもしれない。
私は「生と死が紙一重である」ことを恐ろしく思うのだけれど、首くくりさんは生も死も連続しているのだから怖くないと考えているのかもしれない。
私はその境地にはまだ到底達せそうにない。
本当は公演中止の予定だった
実は私は、いくつか質問があったので首くくりさんに事前にメールを送っていました。そのメールの返信で、「予約は不要」ということを知ったので、4月27日に特に連絡をせず直接伺いました。
そしてその翌日メールチェックをした所、4月27日の朝に首くくりさんからメールがありまして、その内容が「26日に事故が起こったため、27日以降の4月の公演は中止になりました」とのお知らせだったのでビックリ!
ホームページを確認した所、やはりホームページにも中止の文字が(当日は地図しか見ていませんでした)……。
しかし私が到着した時には、首くくりさんは中止といわずに普通に出迎えてくださいました。
その後他のお客さんもやってきて、何ごともなかったように公演が始まったのでした。
何も知らない私たちに「中止」といえずに無理して首吊りをなさってくれたのでしょうか……? だとするとなんだか申し訳ないです……(上記のメールを見てすぐにお詫びとお礼のメールをお送りしました)。
と、こんな感じで急に中止になることもあるようなので、出かける前に再度ホームページの日程・時間をチェックしたほうがいいかもしれません。
その他の動画
映画『首くくり栲象の庭』予告編
映画があったとは……! 現在は上映されていないようなのですが、またどこかで上映されるなら是非観たいものです。
密着24時!首吊り芸術家 – The Hangman
5:40あたり、「日々の倦怠から遠ざかることができる」――と仰っています。
観客が? 首くくりさんが? 恐らくその両方ではないかと……。
あとがき
屋内での公演も行っているようですが、やはり首くくりさんの公演は野外、それも庭劇場で見たほうがよさそうです。自然のBGMが幽玄な雰囲気を盛り上げてくれます。
3月には乙女椿が花盛りになるそうなので、ますます幻想的かもしれません(ただ4月でも夜はかなり冷えたので、暖かい服装で行ったほうがいいでしょう)。
皆様も生と死のあわいを感じさせるパフォーマンスに触れて、日常の倦怠から遠ざかる体験を味わってみてはいかがでしょうか。
追悼
2018年3月、首くくり栲象さんがお亡くなりになったそうです。
「最後まで格好つけたかった」首くくりさんと、それを承知の上で見守るご友人――素敵なご関係が伺える文章で目頭が熱くなりました。
首くくり栲象さんのご冥福をお祈り致します。
folder 鑑賞記録