以前、「生まれないのが一番幸せ~反出生主義的な名言集」という記事に虚無的な名言も一緒に載せていたのですが、量が増えてきたので別記事に分けることにしました。
以下、虚無的な名言集(順不同)をご覧ください。
目次
山田風太郎
いろいろあったが、死んでみりゃあ、なんてこった、はじめから居なかったのとおんなじじゃないか、みなの衆。
山田風太郎『人間臨終図鑑 中』
ペイター
いずれも皆執行猶予中の死刑囚である
ペイター『ルネサンス』
「僕らは皆ペエタアの言ったように確かに『いずれも皆執行猶予中の死刑囚である』」
という風に、芥川龍之介『文芸的な、余りに文芸的なR』に引用されています。
ブッダ
死刑囚が一歩一歩と歩んで行って、刑場におもむくように、人の命も同様である。
中村元訳『ブッダの真理のことば感興のことば』
仏教の開祖ブッダもペイターと似たようなことをいっています(というか、ブッダの方がだいぶ早く生まれているので、ペイターがブッダと似たようなことをいっていたというべきでしょうか)。
寺山修司
昭和十年十二月十日に
ぼくは不完全な死体として生まれ
何十年かかゝって
完全な死体となるのである
寺山修司『懐かしのわが家』
「執行猶予中の死刑囚」と似たニュアンスがありますが、「死ぬことによって完全になる」といっている分、こちらの方が芸術的な感じがします(しかし虚無度としては「執行猶予中の死刑囚」の方が高いかもしれません)。
坂口安吾
「あら、おかしいね。なんでもキリがないものよ。毎日毎日ごはんを食べて、キリがないじゃないか。毎日毎日ねむって、キリがないじゃないか」
坂口安吾『桜の森の満開の下』
夏目漱石
今の世に合うように上等な両親が手ぎわよく生んでくれれば、それが幸福なのさ。
夏目漱石『吾輩は猫である』
優生思想を皮肉った虚無的な台詞に私には思えます。
深尾須磨子
私は……しずかに瞑想をこらした。やがてはあきらめだけに生きなければならぬ無の世界の色々について。
深尾須磨子『マダム・Xの春』
川端康成
「人間は何千年もかかって人間と自然界の万物とをいろんな意味ではっきり区別しようとして来たのでございますわ。そんな一人よがりが、今になってこの人生をこんな空虚に感じさせるんじゃないかと思いますの」
川端康成『香の樹』
北野武
あんまり死ぬのこわくなると、死にたくなっちゃうんだよ
北野武監督『ソナチネ』
北野武監督、映画『ソナチネ』の台詞です。
ユルグ・ブットゲライト
人生は幻想であり無意味なものだと認めよ
ユルグ・ブットゲライト監督『死の王』
生など時代遅れだ
ユルグ・ブットゲライト監督『死の王』
こちらはドイツの映画、ユルグ・ブットゲライト監督『死の王』に出てくる言葉です。
ジョン・レノン
ビートルズは、ほしいだけの金を儲け、好きなだけの名声を得て、何も無いことを知った。
ジョン・レノン
ドストエフスキー
結局のところ、諸君、何もしないのがいちばんいいのだ!
ドストエフスキー『地下室の手記』
永井荷風
「しかし人間一生涯の中に一度でも面白いと思うことがあればそれで生れたかいがあるんだ。時節が来たら諦めをつけなくっちゃいけない」
永井荷風『つゆのあとさき』
カフカ
将来に向かって歩くことは、ぼくにはできません。
将来に向かってつまずくこと、これはできます。
いちばんうまくできるのは、倒れたままでいることです。
カフカ
床の上に寝ていればベッドから落ちることがないように、ひとりでいれば何事も起こらない。
カフカ
ヴォルテール
われわれはこの世に生まれてきたとき見たのと同じ、愚劣な悪い状態のままにこの世を去ってゆくであろう。
ヴォルテール
ショーペンハウアー
この男に言ってやったものだろうか。人生の意慾せらるべきものではないゆえんをお前に教えてくれるというちょうどその点に、人生というものの価値があるのだということを?!
ショーペンハウアー『自殺について』
E.M.シオラン
死とはなんたる侮辱! だしぬけに
もの
に化するとは……
シオラン『四つ裂きの刑』
朝から晩まで、過去を製造しつづけるとは!
シオラン『生誕の災厄』
自分が少なくとも永遠の存在ではないと知っていながら、なぜ人間は生きてゆけるのだろう。
シオラン『生誕の災厄』
若い人たちに教えてやるべきことはただの一事、生に期待すべきものは何ひとつとしてない、少々譲ってもほとんど何ひとつない、ということに尽きる。
シオラン『生誕の災厄』
一日いっぱい、生誕という事実の不都合を思いめぐらしていると、人間の計画し実行することが、どれもこれも、つまらぬ、無益なものに見えてくる。
シオラン『生誕の災厄』
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