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探偵小説を擁護すべきだったのだろうか

time 更新日:  time 公開日:2007/11/18

大正~昭和の当時、江戸川乱歩などが書いていた探偵小説は大衆的にはかなり支持されていたようなのだが、作家や評論家には純文学より一段低いものとして扱われていたようである。
そして小説というジャンル自体がそんなにパッとしなくなったこの現代においても、やはり小説に序列をつけている人はまだいるようだ。

というか、実際お目にかかったのである。そういう人っているんだろうなァとうっすら想像したことはあったと思うのだが、現実に目の当たりにしたのは初めてのことだったので、ホントにいた、とワタクシ、天然記念物を道端で発見したかの如くに大層魂消てしまったのでした。

それからもうずいぶん日が経っているのだけれど、その時その方が口にした「探偵小説っていらなくないか」という言葉がふとした折に思い出されることがある。「純文学でスバラシイ幻想小説などがあるのだから、探偵小説っていらなくないか」というようなことをその人は言ったのだった。

私はまだ魂消ていて、そしてそこにチョッピリ哀しさが入り混じったものの、私はただ探偵小説を読むのが好きな一読者というだけであるし、家族に探偵小説家がいる訳でもないので、躍起になって擁護するのもおかしいのではないかという制御が働き、というか根底には面倒くささがあって、適当にやりすごそうとしたのだけれど、相手はしたたか酔っ払っていて、「探偵小説のどこがいいんですか。純文学に勝る所がありますか」というような感じでまだまだ絡んでくる。

私は口論が苦手であるし(反射神経が鈍い)、それほど親しくない人がいる場所では真面目な話をなるべく避けたいし、しかも天然記念物を目の当たりにした驚きと哀しみの為に常より更に頭が回らず、「探偵小説には笑いがある」とそれだけ答えるのが精一杯であった。これは私の感覚では間違ってはいない気がする。しかしそれだけでもないような気がする。

というか、私は探偵小説が好きで、高尚な文学というものにはそんなにはまれないけれども、いわゆる純文学作家とされている人たちの中にも好きな人がいないこともない。探偵小説だからといって無条件に全部が全部好きな訳でもない。
何というか、私は、このジャンルがあるのだからこのジャンルはいらないのではないかという極端な考え方をしたことがなかったのである。

否、私にとってはいらない、と思うことはあったかもしれない。つまりそれは、私はこのテのものにはどうもはまれそうにないから読まない、ということだ。優劣――どちらが勝っているか、ではなく、好みの問題なのである。しかもこのテのもの、という時、ジャンルというのは目安にはなるけれども、なるべくそれだけを判断材料にはしないようにしている。

その方がどこまで本気でそう言ったのかは定かではない。もしかすると私を試そうとしたのかもしれない。どういった受け応えをするのかからかっていたのかもしれない。本気で探偵小説はいらないと思っているよりは、そのほうが遥かにマシな気がする。
それかその人も、ただ単に探偵小説は好みではないと言いたかったのかもしれない。それならば、その人は少し言葉の選び方を間違ったというだけの話で、これが一番私としてはあったかい気持ちになれる。好き嫌いというのは人それぞれだから仕方がない。

本当に本気でその人が「純文学があるのでこの世に(その人にとって、ではなく、この世に)探偵小説はいらない」と思っているのなら、何だかとても独裁者的な発想のような気がするのだ。その人が会社員だとしたら、部下に「お前あの同期より学歴が低いから、ここにいる意味なくない?」などと言いそうな気がする。

こういう思想をどんどん推し進めていって、大多数に広まり浸透したとすれば、ナ●スのようになるのではないか。
これは私の考えすぎ、もしくはまるで見当外れの考えなのかもしれないけれど。
というか、今の世で上のようなことを言ったらパワハラで問題になるだろうけれど、言われた部下の人は不快でないことはないだろう――などと、想像上の部下の気持ちになってみたりして。

で、もしこの次、その人に会って、あれからこのようなことを考えました、と言ったとする。すると恐らくその人は「私、そんなこと言いましたかね」とケロリと忘れていそうな気がする。何しろその人はずいぶん酔っ払っていたのだから。こういう時下戸は何だか損したような気分になる。
でも忘れていてくれたほうが何だかホッとするかもしれない。常日頃からそんなことを本気で思い詰めている訳ではないということだから。

私が探偵小説を積極的に擁護しなかったのは、もちろん面倒くさいというのがあったけれども、客観的に見てやはり純文学のほうが少々高尚なニオイがするし、ゲージツ的であると世間様ではされているイメージがあり、無意識に気後れした感が否めない。
例えるなら、「純文学さんのほうが世間の人にはスゴイスゴイと言われるのだから、探偵小説さんとつきあうのなんかやめて、純文学さんとつきあいなさいよ」と言われたような心持ちか。

まァしかし、私は探偵小説さんが好きだから……世間の人がどう思ったって構いやしない、というのは揺るがないと思うのだけれど、そこで純文学さんをススメてきた人に、躍起になって探偵小説さんのよさをまくしたてたほうがよかったのだろうか。いうなれば私は、「自分が探偵小説さんの魅力をわかっているから、それでいいの……」と、じっと耐えてしまったような感じであったから。
だが私がまくしたてた所で、その人が探偵小説さんを認めてくれることは決してない気がするので、きっとあれでよかったんだろう。

ところで、探偵小説の論争について書こうと思っていたのだけれど、すっかり前置きが長くなってしまいました。それについてはまた別の記事として書こうと思います。

後日書きました